足跡無き殺人者 後編
 

 空木探偵事務所で働く少年探偵高田直哉は、
 彼の両親の墓参りの帰りに、
 偶然川辺けんすけの死体を発見した。
 調査をしようと考えた直哉だったが、
 空木俊介に捜査を禁止されてしまう。
 空木の元で共に働くあゆみの助けを借り、調査を開始した矢先に・・・

「空木俊介、あなたを川辺けんすけ及び内藤まさひこ殺害容疑で逮捕します」
 

六章 罠
「ちょっと待って下さい、先生が殺人だなんてそんな馬鹿な・・・」
 空木は刑事に詰め寄ろうとする直哉を片手でとどめ、落ち着いた態度で、
「内藤まさひこ殺害と言いましたが、どういうことですか?」
 佐々木刑事はあまりにも落ち着いた空木の態度に気圧されながら、
「内藤まさひこは昨夜九時頃、自宅で殺されていたのを、十時に帰宅した妻により発見されました」
「それでどうして先生が犯人になるんですか?」
 空木の平然とした態度に落ちつきを取り戻した直哉は、佐々木刑事に当然の質問を投げかけた。
「内藤まさひこの死因は撲殺だった。そして、その凶器に使われた灰皿についていた指紋は、内藤まさひことその妻、そして空木さん、あなたのモノだけだったんですよ」
「それだけなら内藤まさひこ殺害容疑だけじゃないんですか?どうして川辺けんすけ殺害の容疑までかかるんです?」
 佐々木は直哉の言葉に意味深長な笑みを浮かべ、
「一緒だったんですよ。川辺けんすけ殺害と」
「一緒?」
「被害者は川辺けんすけと同じようにナイフで胸を刺されていたんですよ。撲殺された後に」
 佐々木は一人でうなずき、勝ち誇ったような笑みを直哉に向けた。
「さらに、空木さんが内藤まさひこや川辺けんすけの調査をしていたと言う事実もあります」
「そんな・・・。そうだ先生、アリバイは・・・」
「無駄だよ、直哉君」
 空木はふだんと変わらない表情で直哉の言葉を止めると、佐々木刑事の前に立ち、
「一つ聞きますが、捜査令状は持っていますか?」
「い、いや。しかし後一時間もすれば裁判所から届けられることになっている」
 佐々木は痛いところを突かれたように顔をしかめた。
「それまでは僕は自由と言うことですね?申し訳ないが少しの間外に出ていてくれますか?大丈夫、逃げたりしませんから」
「し、しかし・・・」
「捜査令状も持っていないんでしょう?なら僕が出ていってくれるように言えば出ていくしかないと思いますが?」
 佐々木刑事は苦り切った表情を浮かべると、刑事達を事務所から引き上げさせた。そして最後に扉をくぐると荒々しく扉を閉めた。
「先生、無駄ってどう言うことですか?!」
 直哉はあまりにも落ち着いている空木にいらいらしながら叫んだ。
「どうやら僕は罠にはめられたようだよ」
「?!・・・」
「昨日の夜八時頃、僕は不思議な電話に呼び出されてね、内藤の家に行っていたんだよ。僕が内藤の家に着いたのが八時半過ぎ、その時には彼は確かに生きていた。しかし、僕を家にあげてはくれなかったよ。彼は川辺が殺されてから相当警戒していたみたいだよ。次に殺されるのは自分じゃないかとね。でもそのせいで僕にはアリバイと呼べるものは何もないんだよ。なにせ犯行時刻の少し前に現場付近をうろついていた訳だからね」
「どうして内藤は次に自分が狙われると考えたんですか?」
「それは、川辺けんすけの殺され方のせいだよ。彼は殺害現場に足跡がなく、胸をナイフで刺されていたと聞いて急に慌てだしたよ。遠山たかおが自分を殺しに来るってね」
「先生!?」
 直哉は空木の顔をまじまじと見つめた。空木の言葉が信じられなかったのだ。その言葉は、空木が直哉に隠していた全てを話さなければならなくなる、禁断の扉を開くカギだった。
「君とあゆみちゃんが捜査に乗り出したことには気付いていたよ。どうして分かったかって?昨日、僕と電話をしていたとき、直哉君は外にいただろ?あゆみちゃんと二人して僕をだまそうとするからには、僕に知られたくない何かをしているという事は容易に想像できたよ。もし後ろめたいことがないのなら、ただ外出していると言えば良いだけだからね。
 さて、話を本題に戻すよ。君は僕に一つ目の事件にアリバイがあれば無罪は証明できると考えているだろ?ところがそうはうまく行かないんだ。なにせその日のアリバイを僕は持っていないからね」
「!?・・・」
「その日、僕は遠山たかおの事について知っているという電話を受けてね、八束町まで行っていたんだ。待ち合わせ場所は桂庵寺の近くの『メンフィス』という喫茶店でね、八時の約束だった。ところが行ってみるとその店の開店は九時からだったんだ。八時半頃には店の人が開店準備でやってきたから僕の事を覚えているだろうけど、それ以前の事となると僕のアリバイを証明することはできないだろう。もちろん電話の相手は現れなかった」
「その電話の相手が誰か分からないんですか?」
「残念だけど、分からないよ。声を変えたりはしていなかったが、その時には殺人なんてまだ起こってなかったからね、ほとんど注意をしていなかった。ただ言えることは声の主は男だったという事だけだ。僕としたことがうかつだったよ」
 空木はそれだけ言うと留守番電話機能付きの電話の受話器を取り上げ、番号をプッシュしていった。
「・・・まだ寝てたの?ごめんごめん、・・・うん、・・・そう言うことだから・・・」
 空木の声は途切れ途切れにしか聞こえなかった。
 空木は受話器を置くと直哉の目の前に再び戻ってきた。
「直哉君僕はそろそろ行くよ、あまり長いこと佐々木君たちを待たせるのも悪いからね」
「せ、先生?待って下さいよ先生」
 空木は優雅な足取りで玄関に向かうと、一度直哉の方をふり返り、行って来ます、という言葉を残して事務所の外に出た。。
「先生・・・」
 直哉は全ての力が抜けてしまったようにソファに倒れこんだ。

「直哉君!」
 事務所の扉が勢いよく開かれ、あゆみが飛び込んできた。普段の髪型と違ってただ背中に流しただけで結んでいなかった。そして息を必死に整えている様子を見ると、彼女が家から慌てて飛び出してきたことは明白だった。
「ねえ、先生が警察に逮捕されるってどう言うこと?冗談なんでしょ?ねえ、先生はどこ?直哉君!」
「先生はいないよ、警察に連れて行かれた」
「本当だったの・・・」
 あゆみは悲しそうに目を伏せた。しかしすぐに顔を上げると、
「ねえ直哉君、何があったのか説明して」
 直哉はあからさまに落ち込んだ声で、あゆみと話した。
 あゆみは直哉から一通りの話を聞くと、
「さあ、それじゃあ捜査しましょう。私は先生の無実を証明してみせるから、直哉君は真犯人を見つけるのよ」
「・・・」
「直哉君?」
「・・・」
「・・・?」
「捜査をやめるよ」
「え?」
「もうこの事件を調べるのはやめるよ」
「何いってるのよ直哉君?」
「だって、先生を罠に掛けることができるような犯人だよ?僕の手に負える相手じゃないよ。それに、このまま捜査を続けて、もしあゆみちゃんまで危険な目にあったら・・・」
 直哉はぼそぼそと、まるで独り言のような声であゆみと話す。
「ば、馬鹿にしないで!私だって空木探偵事務所の一員よ。それぐらいの覚悟はできてるわよ!そうよ、私がこの事務所の助手になったときから・・・」
 あゆみは目に涙を浮かべて訴えた。多分その脳裏には小島洋子の事が浮かんでいるのだろう、直哉があゆみの涙を見たのはあの事件以来だった。
「あゆみちゃん・・・」
 直哉はあゆみの肩に手をおいたが、それを強引に振り払い、
「触らないで、そんな弱気な直哉君なんて、・・・直哉君なんて嫌いよ!」
「?!・・・」
「それに先生はどうなるの?先生は直哉君が犯人を捕まえてくれるのを待ってるわよ。それとも直哉君は先生を見捨てる気?」
「!!・・・
 ・・・・そうだね分かったよ、僕が間違っていた。もう一度捜査してみるよ。僕はもう一度川辺の事件を調べてみるから、あゆみちゃんは先生のアリバイを証明してくれる人がいないか喫茶店『メンフィス』周辺を探して、もしかしたら八時頃に先生がいたのを覚えている人がいるかもしれない」
「うん!・・・そうだ!さっき先生からの電話で頼まれていたことがあったんだ」
 あゆみは元気を取り戻すと、空木の机に向かった。そして戻ってきた彼女の手には一冊の手帳が握られていた。
「それは?」
「先生の手帳よ、今回の事件について直哉君がまだ知らないことが書かれているだろうから直哉君に渡してくれって先生に頼まれてたの」
 直哉は手帳を受け取り開いた。そしてしばらくページをめくった後、あるページに目を止めた。
「なんて書いてあるの?」
 直哉はあゆみにページを開いたまま渡した。あゆみはそこに書かれている文章を読んでいった。
「えーと、
 現場周辺に争った形跡がなかったのは何故か?
 たとえ不意をつかれたとしても首を絞められている間に少しは抵抗をするはず。
 川辺の靴の中に泥が付着していたのは何故か?
 靴の中に泥が入っているという事は川辺はどこかで靴を脱いだのか?
 川辺を絞め殺した後に胸にナイフを突き刺したのはどうしてか?
 直哉君が見た逃げていく男は事件に関係があるのか?
 あるとしたらどうしてあんな時刻にあの現場にいたのか?
 うーん、先生の手帳に書いているのはこれだけね。この中に直哉君の知らない事って書いてあった?」
「うん、少しだけだけどね」
 そういえば確かに現場に争った形跡はなかった。先生が書いている通り、殺害方法が絞殺なら抵抗して少しは暴れたはずだ。それなのにその跡がなかったという事は・・・。
 川辺の靴下に泥が付いていたこれは僕の知らないことだった。しかし、これにどんな意味があるんだろう?
 そうだ桂庵寺に行って、現場をもう一度確認しておこう。先生の手帳の内容を確認しておかないと。
「僕は今から八束町に行くけど、あゆみちゃんも一緒に行く?」
「私は慌てて出てきたからまだ髪に櫛も当ててないのよ。だから先に行ってて」
「あれ、髪型戻しちゃうの?その髪型も新鮮でかわいいと思ったのに」
「え?」
 あゆみは直哉の言葉にきょとんとした表情を浮かべた。
「はは、じゃあ行って来るよ」
 直哉は足取りも軽く事務所を出ていった。

七章 足跡
 直哉は桂庵寺にやってきた。
 あいにく天田和尚の姿は見えなかったが、直哉は現場に足を踏み入れた。そこは初めて直哉が訪れた時とは大きく様相が変わっていた。あんなに乱雑になっていた木材はきちんと積み上げられ、壁に立てかけられていた。
「もう、何も残っていない。そりゃそうか、事件は一昨日の朝だったし、昨日は一日中誰でも出入りが自由だったんだから、現場がそのまま保存されていると考える方がどうかしている」
 直哉は自嘲気味に呟くと辺りを見回した。
「?・・・視線を感じる・・・」
 直哉が振り向くと壁の影からじっと見つめている男の姿を見つけた。
「誰だ!そこにいるのは?!」
 直哉の声を聞くと男はいきなり身を翻し、走り出した。直哉はすぐに駆け出す。男が周囲の森に入っていくのが見えた。直哉は男の後を追って森に飛び込むと男の姿を探した。
「どこにいったんだ?」
 直哉は誰に言うともなく呟くと辺りを見回した。
「ん?足跡がある。それも新しい」
 直哉は足跡を追いかけるようにしばらく走ると、前方にこちらをうかがう男の姿が見えた。男は直哉に見つかったことに気がつくと再び走り出したが、直哉は少し追いかけただけで男の肩を掴むことができた。
 男を見て直哉は驚いた。男は西村こういちだった。
「どうして急に逃げたりしたんですか?」
 西村の呼吸が整うのを待ち、直哉は質問を投げかけた。
 西村は恐怖に顔をゆがませ、口をもぐもぐさせていたが、西村さん!と直哉が叫ぶとその顔は一気に青ざめた。
「ど、どうして私の名前を?」
 ああ、そうか、僕がこの人の顔を見たのはマジックミラー越しだったんだ。直哉は変に納得すると、簡単に自分の状況を説明し、協力を求めた。
「わ、分かりました。わ、私の知っていることならお答えします」
「あなたは二日前、どうしてここに来たんですか?」
 西村は来ていないと力強く首を横に振ったが、その様子が逆に肯定しているようなものだった。
「ごまかしても無駄ですよ。僕はあの日、ここで逃げていくあなたの姿を見たんです。あなたは寺の裏で、積み上げられている木材を倒して逃げましたよね?」
「あ、ああ、あの日、私は電話で呼び出されたんだ!十時にこの寺の裏に来いって。そして、そこで誰かが倒れているのを見つけた。す、少し近づいてよく見ると胸にナ、ナイフが刺さっているのが見えた。だからに、逃げようと、そしたら何かが足に引っかかってそしたら突然木材が倒れてきて、その後はもう無我夢中で、何も覚えていません。だから、私は殺したりなんかしていないんです。本当です!」
 西村は支離滅裂な言葉で自分の無実を主張する。
「大丈夫、あなたが犯人だとは思っていません。なにしろ、あなたがこの現場に訪れた時点で、川辺は死後二時間以上が経過していたんですから。それで、電話の相手は誰だったんですか?」
 西村は直哉が自分のことを疑っていないと知ると安心したようだった。
「それが、その男は、電話の声は確かに男でしたが、電話の男は名乗らずにただ私の秘密を知っている、そしてここに来ないとその秘密をばらすと言うんです。もちろん、私は人に隠さないといけないようなことはありませんよ。しかし、下手な噂を立てられる事は避けたかったんです」
 直哉は直感的に西村が嘘をついていると感じた。しかし、その嘘が今回の事件と直接の関わりを持っているとは思えなかった。そしてその事実を追求することは西村の口を閉ざす結果になりかねない、そこで直哉は思いきってその話を追求することをやめた。
「ところで、あなたが来た時、木材はきちんと並べられていたんですね?そして何かにつまづいたと思ったら木材が倒れてきた。そうですね?」
「は、はい。きっと、倒れてくるような仕掛けがしてあったんです。あ、でも、もともといくつかは倒れていましたよ」
「え?それはいったい・・・」
「あの、今日はこの後用事があるので、そろそろ良いでしょうか?」
「分かりました。ありがとうございます。あ、それと連絡先を教えてもらえますか?」
 西村は直哉に自分の家と職場の住所を伝え、一度礼をすると走り去っていった。
 直哉はその姿を見送ってから歩き出そうとしてふと足を止めた。その視線は地面に向けられていた。そこには不自然な跡が残っていた。それは数日前に付いたのかうっすらとしか残っていなかったが、しかしそれでも二人分の足跡であることがはっきりと分かった。
「この跡はそれほど古くないな、いったいどこまで続いているんだろう?」
 直哉は純粋な好奇心からその足跡を追いかけることにした。そして少しも進まないうちにその足跡は途切れ、引き返してきていた。その足跡の行き止まりではどうみても争った形跡が残っていた。しかしもっとも直哉の興味を引いたものは争った形跡ではなく、引き返してくる足跡だった。そしてそれは一人分の足跡しかなかった。
 残念なことに足跡は消えかけていたため、そこからその足跡の持ち主を特定できる証拠のような者は発見できなかった。しかし、その跡を辿っていくとすぐに森からでることができた。その場所は直哉が森に飛び込んだ位置からそれ程離れてはいなかった。つまり、直哉は森に飛び込んだ位置から、森の中をぐるっと回りほぼもとの場所に戻ってきていたのだった。そしてその場所と死体発見現場とは目と鼻の先だった。

 直哉はカワベスーパーにやってきた。
 直哉は美佐子を見つけ、声を掛けた。
「あ、探偵さん!」
「また、お話を聞かせてもらえますか?」
「はい」
 美佐子は昨日よりは大分落ち着いた態度で返事を返した。
「昨日から事件に関係有りそうなことで、何か思い出したこととか、疑問に思ったこととか有りませんか?」
「いいえ、特に何も」
「そうですか、それなら、美佐子さんは内藤まさひこと言う名前に心当たりはありますか?」
 美佐子は急におどおどし始めた。
「き、聞いたこともありません。どなたですかその人は?」
「?!・・・」
 そうか、彼女はまだ事件のことを知らないのか。
「内藤まさひこは、昨夜殺されたんです」
「!?・・・。
 す、すいません、今朝は時間が無くてニュースを見てないんです。で、でもその事件とけんすけさんが殺されたことにどんな関係があるんですか?」
「それが二つの事件はどうやら同一犯による犯行らしいんです」
「!!・・・」
 美佐子は一瞬言葉を失ったが、やっとの事で、
「すいませんが、やっぱり知りません・・・。あの、仕事がありますのでこの辺でよろしいでしょうか?」
とだけ言い、
「え?あ、はい。お邪魔してすいませんでした」
と直哉が答えるのを待たず、美佐子は頭を軽く下げて店の奥へと引き込んだ。
「?・・・」
 美佐子さんどうしたんだろう?まるで何かを隠しているみたいだ。そういえば内藤という名前を出した時から態度がおかしかったような。
「ねえちょっと、あんた美佐子ちゃんの知り合い?」
 直哉は突然後ろから少し太り気味の中年女性に声を掛けられた。
「あの、あなたは?」
「私のことは良いのよ。それよりあんた、昨日も美佐子ちゃんと話していたわね。分かった、あんた彼女の恋人でしょ?彼女とけんかでもしたの?最近あの子仕事も手に付かないくらい悩んでるんだから。早く仲直りしなさいよ」
「いえ、僕は・・・」
「三日前の電話もあなただったんじゃない?駄目よ、仕事中の彼女に電話なんかしちゃ・・・そういえば電話の内容って待ち合わせの約束みたいだったし、なに、その時のデートで喧嘩でもしたの?」
「いえ、あの・・・」
「まあいいわ、私は行くけど、美佐子ちゃんに心配を掛けさせちゃ駄目よ」
 そしておばさんは行ってしまった。
「なんだったんだいったい?結局僕の話を一言も聞かないで」
「あんた?美佐子ちゃんの言っていた探偵って?」
 直哉はまた突然後ろから六十くらいの年齢の女性に話しかけられた。
「はい、あの、あなたは?」
「あたし?あたしは川辺年子よ。それよりあんた、うちの息子を殺した犯人を捜してくれてるんだってね」
「息子?もしかして川辺けんすけさんのお母さんですか?もしそうなら少しお話をうかがいたいんですが?」
「確かにけんすけはあたしの息子よ。質問に答えてもいいけど、そのかわり早くうちの息子を殺した犯人を見つけておくれ」
 年子は直哉の顔を真っ直ぐに見つめた。その顔には深い怒りと悲しみが浮かんでいた。
「けんすけさんがあの日桂庵寺に行った理由を知りませんか?」
「理由は知らないけど、別に不思議でも何でもないわ。あの子たちはたまにあのお寺に行っていたから」
「?!・・・」
「でもあんな朝早くに行ったことは今まで無かったんじゃないかしら?」
「けんすけさんはあの寺によく行っていたんですか?」
「じゃないかと思うんだけど、あの子、いつもどこに行くか言わないから」
 川辺の年齢が三十八歳だった事を考えると、それも当然のことだろう、直哉は思った。
「寺に行っていたと思われる節でもあるんですか?」
「あんた、あそこの和尚さん知ってる?あの人もともとは中学の教師でね、うちの馬鹿息子を更正させようといろいろと心を砕いてくれたのよ」
「?!・・・
 と言うことは天田和尚はけんすけさんの事を知っているんですね?」
「それどころか、あの人がいなかったら、あの子は未だに人様に迷惑をかけて生活していたわよ」
「どう言うことですか?」
「いろいろとあったのよ。でもその事は天田先生に直接聞いてちょうだい」
「そうですか、分かりました。ところで、内藤まさひこという男を知っていますか?」
「内藤まさひこ?ああ、うちの息子と昔よく一緒にいた子だね。でも、最近は会っていなかったみたいだけど」
 年子はあまり思い出したくないかのように顔をしかめた。多分、彼ら四人が一緒になって悪さをしていた頃は、彼女にとって苦い記憶となっているのだろう。
「でも、その頃のことを知りたければやっぱり天田先生に聞いた方がいいわよ。なにせ、先生はあの四人の担任だったんだから」

 直哉は再び桂庵寺を訪れた。しかし残念なことに天田和尚の姿は見あたらなかった。
「仕方ない、一度事務所に帰ろう。あゆみちゃん何か先生の無実を証明する情報を手に入れているといいけど」

 直哉が事務所に帰るとあゆみが待っていた。
「あれ、あゆみちゃん髪型戻したんだ。でも、その髪型が一番似合ってるよ」
「もう、からかわないでよ!」
 直哉はあゆみの言葉を笑顔で受け流し、
「それで、あゆみちゃんの方は何か分かった?」
「ううん、残念だけど、先生の姿を覚えている人はいなかったの。ごめんなさい」
「あゆみちゃんが謝る事じゃないよ。目撃者がいなければ誰が探したって見つけることはできないんだから」
 あゆみにそんな言葉をかけながら直哉は推理を開始した。
 森の中で見つけた足跡、あれはもしかして・・・、となるとあそこが本当の犯行現場なんだろうか?そうなると犯人はわざわざ死体を運んだことになる。どうしてそんなことをする必要があったんだろう?
 あの日、僕が見た人物は西村だった。そして西村は電話で呼び出されたと言っていた。電話の相手が誰かは分からないが、先生を呼び出した人物と同一だろう。
 西村は電話で呼び出されたんだ。そして先生も、・・・もしかして川辺も電話で呼び出されたのかもしれない。ん?そういえば、美佐子さんが三日前に電話していたっておばさんが言っていたな、もしかしてその電話が、・・・たとえ違ったとしても彼女が何かを知っている可能性はある。その事について聞いてみるべきかも知れない。
 天田和尚は川辺達四人が中学生時代の担任だった。しかし、天田和尚は川辺のことを知らないと言っていた。どうしてそんな嘘をつく必要があったんだろう?
 天田和尚はもう戻っているかな?話を聞きに行かないと。
「あゆみちゃん、お願いがあるんだけど、今からカワベスーパーに行って川辺に電話がなかったか調べてくれないかな?もしかしたら大島美佐子さんというアルバイトの人が電話を受けたかもしれない。僕はこれから桂庵時に行って天田和尚に話を聞いてくるよ」
「カワベスーパーの大島美佐子さん?・・・分かったわ。じゃあ三時に事務所に集まって報告をしましょ?」
「うん、それじゃ、途中まで一緒に行く?」
「そうね、どうせ同じ方向だし、事件について話し合いながら行きましょ」

八章 担任
 直哉の目の前には天田和尚が立っていた。
「どうしたんぢゃお主?そんな怖い顔をして」
「どうして嘘をついていたんですか?」
「なんのことぢゃ?」
 直哉には天田がとぼけているのか、本当に分かっていないのか見当がつかなかった。
「川辺のことですよ、あなたは昨日、川辺のことを知らないと言いましたね?しかし本当は知っている。そうでしょ?天田先生」
 天田は先生という言葉に一度眉根を寄せただけで、それ以上目立った表情の変化を見せなかった。
「そうか、やっぱりばれてしまったか。その通り、わしは川辺のことはよく知っておったよ。川辺だけでなく昨夜殺された内藤もな」
 直哉は先を促すようにうなずいた。
「あの子らは二十四年前、わしの生徒ぢゃった。しかし、あの子らは皆が言うほどに悪い子ではなかったよ。ただ四人が集まるといつも悪さばかりしておった。しかし、お主はそんな話を聞きたい訳ではあるまい?」
「彼らが殺された理由について心当たりがないか、それを聞かせて下さい」
「ふむ、あの子らはあの事件の後ほとんど会っていなかった。ぢゃから、あの子らが共通に恨まれる事というと、十七年以上前のこととしか思えんのぢゃ。そしてあの子らが起こした事件の中でも特に大きなものはあれじゃろう、丁度十七年前に起こった・・・」
「黒部としおが刺し殺された事件ですね?」
「なんぢゃ知っておったのか。そうぢゃ、あの子らの中で、あの事件は特別の意味を持っておった。もちろんわしにもぢゃがな」
「?!・・・」
「事件の後あの子らが問題を起こさなくなったと言うことは聞いておるかの?ふむ、その表情からすると知っておるようぢゃの。
 その事について世間では、あの子らの盾となる黒部がいなくなったからぢゃとか言われておったが、そうではないんぢゃ。あの子らはわしの為に馬鹿な行為をやめたんぢゃ、とわしは信じておる」
「?・・・」
「わしはあの事件の後、教師を辞め仏門に入ったんぢゃ。黒部が死んでしまったのは教え方を誤ったわしのせいぢゃと思うと、教師をやっていく自信を失ってしまったんぢゃの。それを聞いたあの子らはわしにもう悪さはしないと約束してくれた。あの子らはそれ以後問題を起こしていないと、わしは信じておる」
「遠山たかおの家に放火をしたのはあの三人ではないんですか?」
 天田は直哉の言葉に悲しそうに目を伏せた。
 直哉は天田が話し出すまでじっと待った。
 たっぷり一分は経ったかと思う頃、住職はぽつりと言った。
「あの子らはやっておらん、わしはそう信じておる。第一、あの事件は犯人が捕まらんかったんぢゃろ?あの子らが犯人ぢゃったら今頃捕まって刑罰を受けておるよ。何しろ、あやつらのやることはいつでもばれておったからな。あやつらのやることはいつも手が込んでおっての、用意周到に計画をたてておったよ、それはもう完璧と言っても差し支えなかろう。しかしそんな計画を立てておきながら、いつも大きな失敗をしでかしてはわしらにばれておった。そんなところがまた憎めんかったんぢゃ」
 天田和尚は昔を思い返しているのか口元には微笑が浮かんでいた。
「その計画は誰が立てていたんですか?」
 天田は直哉の言葉に無理矢理現実に引き戻されたように驚いた表情を浮かべたが、すぐに話し始めた。
「それは岸上ぢゃよ、彼は本当に頭が良かった。学校始まって以来の秀才ともっぱらの評判ぢゃったんぢゃ。しかし、いかんせんその頭はいつもどんな悪戯をするか、そんなことで占められておったようぢゃ。それでも学校内で一番の成績ぢゃったんぢゃから、まじめに勉強をしておればのう、もったいない話ぢゃ。計画を立てるのが岸上の仕事なら、実行するのは川辺と内藤の二人ぢゃったよ。そして、失敗するのはいつもこの二人ぢゃった。そして黒部ぢゃが、彼が一緒にいたのは町の有力者の息子と言うことで、捕まった時のための保険という意味あいがあったのかもしれんが、それよりも、岸上と黒部が小学生の頃からの親友だったということが一番大きな理由だったようぢゃ。まあ、あやつらがわしの生徒だった頃やっていたことは犯罪と言うより悪戯ぢゃったからの、そんな権力という盾はいらんかったよ。ただやることがどんどんエスカレートしていったときには、権力というものを存分に利用したようぢゃがの」
「いろいろと話していただき、ありがとうございました。でも、どうして川辺さんを知らないなんて嘘をついたんですか?」
「それは、もしわしが川辺のことを知っているといえば、十七年前までのあの子らのことを言わねばならん。そうなると、今は真面目に働いているあの子らに迷惑がかかるのではないかと、そんなことが頭をよぎっての。それに、あの子らはあの事件以来会ってもいない。もし会えば昔に逆戻りしてしまうという不安があるんぢゃろう。ぢゃから、あの子が殺された事と十七年前の事が関係有るとは思えんかったんぢゃ。しかし、今では間違いぢゃったとおもっとる。すまんかったの、もしあの時、そのことを話しておけば、内藤は殺されんかったかもしれん」
「いえ、二日目に和尚さんに川辺さんのことを聞いたとき、僕はすでに十七年前のことを知っていました。ですから、例えあの時その事を聞かせてもらっていても、結果は同じになっていたと思いますよ。残念ですが」
「いや、それを聞いて少し気が楽になったよ。ありがとう」
 ん?今から事務所に帰ればあゆみちゃんと約束した三時に着くな。よし、一度帰ろう。
「それじゃ、僕はそろそろ帰ります」
「うむ、何か有ったらまた来なさい、わしでできることなら力になるぞ」

 直哉は誰もいない事務所に帰ってきた。
「あれ、あゆみちゃんまだ戻ってきてないのか」
 直哉が時計を見ると、時刻は三時を少し過ぎていた。
 天田和尚の言葉からすると、十七年前からあの三人は会っていないらしい。そして川辺と内藤の二人が殺されたとなると、やはり動機は十七年以上前に遡ることになる。けど、どうして今頃?十七年以上待つ意味が何か有ったんだろうか?
 動機があの四人に対する恨みだとすると、次に殺されるのは岸上!?しかし、それ位のことなら警察も気付いているはずだ。多分警戒してくれているだろう。そういえば僕はまだ岸上に会ったことがないんだ。これから会いに行ってみよう。それにしてもあゆみちゃん遅いなあ。何も情報を手に入れられなかったのかな?
 その時、事務所の外で慌てて走ってくる足音が聞こえた。
「この足音はあゆみちゃんだ」
 直哉はそう呟くとソファから立ち上がり、事務所のドアを開けた。
「おかえり、あゆみちゃん」
 あゆみは丁度、扉のノブに手を掛けようという姿で止まり、もう一方の手にはカワベスーパーと書かれたビニール袋を提げていた。しかしすぐ事務所に入ると、
「ただいま。ごめんね、少し遅くなっちゃって」
と手に持った袋を机の上に乗せて言った。
「何か有ったの?」
「ううん。ただ、大島さんが今日の午前中で気分が悪くなったらしくて家に帰ってたから。それで彼女の家まで行ってたの」
「それは大変だったね、ごくろうさま。それで、何か良い話は聞けた?」
「うん、川辺けんすけがどうしてあの日桂庵寺に行ったのか、それが分かったの。直哉君の予想したとおり、電話で呼び出されたみたいよ」
「それで、その電話を受けたのが大島さんだったの?」
「うん。三日前の午前中に電話を受けてたの。三日前と言えば川辺が殺された日の前日ね。それでね、その電話の相手って言うのがなんと、内藤まさひこだったのよ。もっとも、大島さんは内藤のことを知らなかったから、その電話が本当に内藤からだったかは分からないけど。だからはっきり言えることは、今までと同じで電話の主は男だったということだけね」
「?!・・・」
「川辺はその時居なかったから、大島さんが変わりに用件を聞いたらしいの。そしてその内容っていうのが明日、つまりあの事件の有った日ね。その日の午前八時に桂庵寺に来るようにといったものだったのよ」
「?!・・・」
「それでね私、ちょっと疑問に思って、川辺はその時間にはいつも居ないのかって聞いてみたの。そしたら、川辺は週に一度、パチンコに行く日が有ったらしくて、三日前が丁度その日だったのよ」
 ということはわざと川辺のいない時間を狙って電話を掛けてきたという可能性もある訳だ。でも、川辺はその後で内藤に待ち合わせについての確認とかを取らなかったんだろうか?
「私もそれを考えたわ。それで、大島さんに聞いてみたの。でも、彼女が言うにはその電話の相手が連絡はいらないって言ったらしいのよ。もし来なかったら自分一人でもいくからとかそういう理由でね」
 ・・・あゆみちゃんの話からは電話の相手が誰かは分からないけど、連絡はいらないと言ったということは、川辺から内藤に電話をかけてほしくなかったとも考えられるな。そうなると、やっぱり電話の相手は内藤じゃ無かった可能性が高くなる。
「そうね、私もその電話は内藤からじゃ無かったと思うわ」
「そう・・・。」=A大島さんの様子はどうだった?体調を悪くしたって話だけど」
「うーん、確かに顔色は悪かったけど、あれは肉体的と言うよりも精神的なものじゃないかしら?多分、彼女が取った電話が川辺を殺すためのものだったと知って、ショックを受けてたのよ。それに電話の相手と思っていた内藤も殺されたでしょ?きっとその事実が彼女に追い打ちをかけたのね。彼女、恐かったんだと思うわ。でも、無理もないわね、なにしろ、電話で話した相手が殺人者だったかもしれないんだから」
 直哉はあゆみの言葉にうなずくと推理を開始した。
 さっきも考えた通り、川辺達が殺される理由は十七年前に遡る。ということは、犯人は、川辺たちと十七年以上前から知り合いだったということになるんじゃないか?そしてその頃の知り合いで今生きている人といえば岸上がいる。
 そういえば川辺たちは岸上の立てた計画で活動していた。そしてその計画は綿密に練られていたという話だった。もしかして今回の事件も岸上が?いや、僕はまだ岸上に会ったことは無いんだ。今結論を出すのは早急すぎる、せめて一度本人に会ってみないと・・・。
「あゆみちゃん、僕は今から岸上に会いに行ってくるよ」
「ちょっと待って直哉君、一度電話をかけた方がいいんじゃない?ほら、留守だったりしたら困るし、それにいきなり行っても会ってくれるか分からないじゃない。それと・・・」
「それと?」
「もし電話を受けて岸上が逃げたら、犯人は岸上ということになるし」
「そうだね、じゃあ電話してみるよ。ええと番号は・・・」
 直哉はあゆみがくれたメモをみながら電話をかけた。
 少し長めの呼び出し音の後、
「はい、もしもし」
 と、受話器の向こうから落ちついた男性の声が流れてきた。
「もしもし、岸上さんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですが」
「私、空木探偵事務所の高田と言います、やすしさんはご在宅でしょうか?」
「やすしは私です。それで、探偵が私に何のようですか?」
 岸上は探偵と聞いても全く慌てた様子もなく答えた。
「実は、川辺さんや内藤さんが殺されたことについて少しお話をお聞かせ願いたいんですが、今から少しお時間をいただけませんでしょうか?」
「今からですか?」岸上は少し考えるような間を空けた後、
「残念ながら今は来客中でして、今すぐは無理ですが、そうですね・・・、今日の午後七時頃に来てくれれば、私としても落ち着いて話すことができると思いますが、どうでしょう?」
「分かりました。それでは今日の七時にお伺いします」
「はい、お待ちしています」
 その言葉に続いて電話を切る音が聞こえてきた。
「ふう、来客中で今は無理だってさ1時間位暇ができちゃったよ」
「じゃあご飯でも食べる?実はちょっと多く買い過ぎちゃって」
 あゆみは机の上のビニール袋を持ち上げた。
「それは?」
「うん、聞き込みに行ったスーパーが意外と安くてつい買っちゃたの」
「はは、しっかりしてるね」
「ふふ、それで、食べていくの?」
「そうだね、せっかくだからいただくよ。腹が減っては戦はできぬって言うからね」
「うん、これから犯人かもしれない人に会いに行くんだから、お腹を空かせたまま行くのは得策じゃないわよ」

「そろそろ行くよ、岸上の家まで一時間弱かかるから」
 直哉は時計を見て立ち上がった。
 時計の針は六時十分前を指していた。
「いってらっしゃい」
 あゆみの言葉を背に直哉は事務所を後にした。

九章 驚愕
 直哉は不思議そうに自分の腕時計を見つめている。
「時間は間違っていないはずだ」
 自分に言い聞かせるように呟くと再度呼び鈴を押した。直哉はさっきから何度も呼び鈴を押していたが中から答えは返ってこなかった。そして今回も中からの返事はなかった。
「ドラマなんかだと鍵が開いてたりするんだけどな」
 直哉はノブに手をかけるとそのまま回した。と、ノブは何の引っかかりもなく回り、扉は静かに開いた。
「はは、本当に開いてる。こんな時中で人が死んでたりするのが定番なんだけど、はは、まさか」
 直哉は不安な気持ちを抑えようと冗談のように口にしたが、しかしその実、嫌な予感がしていた。
 直哉は家の中にあがると呼びかけた。しかし、やっぱり返事は返ってこなかった。
「留守かな?留守ならどうして鍵が開いているんだろう、まさか本当に・・・」
 直哉は一度身震いをすると真っ暗な廊下をゆっくりと進んだ。前方の扉から光が漏れていた。直哉はそこを目標に進んだ。そして、その扉の前に立つとうっすらと開いた扉のノブに手をかけた。
「?!・・・」
 部屋の中では一人の男性がソファに腰を下ろしている後ろ姿がみえた。しかし男は直哉が声をかけても振り向こうとはしなかった。
 直哉は部屋の物には一切触れないように気を付けながら部屋の中を進んだ。どうしてそうしたのかは分かい。ただその時はそうすることが自然のように思われた。そして正面に回り男の顔を見る。今まで見た事のない男だ。しかし彼が誰なのかはすぐに理解できた。
 『岸上やすし』そして彼の胸にはナイフが深々と刺さっていた。

 直哉が呼んだ警察官たちが忙しそうに部屋の中を動き回っている。そんな中あれこれ指示を出していた佐々木刑事が直哉に近づいてきた。
「通報してきたのは君だね」
「はい、そうです」
「今日はいったいどうしてこんな場所に来たんだ?」
 直哉はここに来た経緯を説明した。
「つまり、四時頃に客が来ていたから、こんな時間に訪ねることになったと言うのか?七時なんて初対面の人間を訪ねる時間じゃないぞ、そんな話を信じると思っているのか?」
「しかし・・・」
「まあいい、今日の所は帰りなさい、それと、まだ聞くことが有るかもしれないので常に何処にいるか我々に知らせるように」
「分かりました」
 直哉は事務所に戻ることを告げ現場を後にした。

 直哉は事務所に戻ってきた。
「あゆみちゃんはもう家に帰ったみたいだな」
 直哉は推理を開始した。
 岸上が殺された。これで黒部の仲間はみんな死んだことになる。となると犯人はいったい誰なんだ・・・。
 岸上が死んだことで十七年前の事件に関係の有る人物は全員死んだことになる、いや待てよ、十七年前の事件に関係の有る人物がもう一人いる、西村だ!だが、西村が犯人なのだろうか?会った限りではとてもそうは思えなかったが・・・。そうだ、今回の事件の犯人が一連の事件と同じだと言うことは、先生の無実が証明されたんじゃないか?よし、明日佐々木刑事に話してみよう、先生が戻ってくればきっと事件を解決してくれる・・・。そういえば先生の残してくれた手帳に何か書いていたような。
 直哉は手帳を見た。

 現場周辺に争った形跡がなかったのは何故か?
 たとえ不意をつかれたとしても首を絞められている間に少しは抵抗をするはず。
 川辺の靴下に泥が付着していたのは何故か?
 靴下に泥が入っているという事は川辺はどこかで靴を脱いだのか?
 川辺を絞め殺した後に胸にナイフを突き刺したのはどうしてか?
 直哉君が見た逃げていく男は事件に関係が有るのか?
 有るとしたらどうしてあんな時刻にあの現場にいたのか?

 しばらく手帳を眺めた後直哉の頭の中にある考えが浮かんだ。
「そうか、そう言うことか、足跡の謎は解けたぞ、明日佐々木刑事に話そう」

十章 真相
「ふあああ、もう朝か、今日も一日がんばるぞ」
Truuuu Truuuu
「うん、電話だ」
「はい、空木探偵事務所」
「あ、直哉君、よかったまだ居た。私、あゆみです」
「ああ、あゆみちゃんどうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ。岸上には会えたの?」
「会えたような会えなかったような」
「?どういうこと?」
 直哉は岸上の家を訪ねたときのことをあゆみに話した。
「驚いたわ。まさか岸上まで殺されるなんて、これで事件は振り出しに戻ったのね」
「うん、でも足跡のトリックは分かったよ」
「本当に?すごいじゃない!」
 あゆみが電話の向こうで息をのむのが分かった。
「分かるとそんな難しい事じゃなかったよ、実は・・・」
「ちょっと待って、今からそっちに行くから話は事務所で聞かせてもらうわ」
 しばらくしてあゆみが事務所にやってきた。
「おはよう、あゆみちゃん」
「おはよう。それで、足跡のトリックっていったいどんなトリックだったの?」
 あゆみは勢い込んで尋ねた。
「あれは本当に単純な事なんだよ・・・」

「すごいわ直哉君、どうして気づいたの?」
「先生が残してくれた手帳を見ているうちに気がついたんだよ」
 あゆみは一瞬表情を曇らせたが、
「今日こそ先生の無実を証明しないとね」とすぐに笑顔に戻って直哉に微笑みかけた。
「あ、そうだ、そのことなんだけど、先生の無実は証明できるよ。先生はいま警察に行動を拘束されているんだ。それなのに同一犯と思われる事件が起きたんだから、今日にでも釈放されると思う」
「あっそうか、そうよね、よかった。・・・ねえ直哉君、私ずっと考えてたんだけど、どうして先生は容疑者になったのかな?」
「それは犯人が先生を現場近くに呼び出して・・・」
「それは分かってるわ。でもそれだけで先生が犯人と疑われた訳じゃないわよね?」
「それは、内藤殺害の凶器に使われた灰皿に先生の指紋が付いていたから」
「それよ!」
「え?」
 あゆみが突然大声を出したので直哉は驚いた。
「犯人は先生に罪を着せようとした。でも、現場付近に呼び出しただけじゃ罪を被せるには不十分よ。ところが先生は警察に身柄を拘束された。それは犯行に使われた凶器に偶然先生の指紋が付いていたから。でも、これって偶然だと思う?私はそうは思えないの。もしかして犯人は、その灰皿に先生の指紋が付いていたのを知っていたんじゃないかしら?ううん、先生の指紋の付いた灰皿をわざわざ凶器に選んだのかも」
「そんな!あの灰皿に先生の指紋が付いていると知り得たのは、先生が内藤の家を訪ねたときに一緒にいた人だけだよ。それは・・・、まさかあの人が?でも待てよ、そういえばあの人も十七年前の事件の関係者だ!となると、次に狙われるのは・・・」

 直哉は桂庵時の墓地に立っていた。直哉から少し離れた位置に二人の男性が立っていた。一人は西村、そしてもう一人は佐々木刑事だった。彼らの目の前には遠山たかおとその妻の墓が有った。直哉の位置からは二人が何を話しているのかは聞こえなかったが、西村は相当興奮しているように見えた。
 直哉は足音を忍ばせるように二人に近づいていった。
「こりゃ!何をしておる!?」
「わっ!天田和尚!」
「なんぢゃお主か。こんな所でこそこそとしておるから墓荒らしかと思ったぢゃないか、もっとも火葬の墓を暴いても何もでてこんがの」
 直哉は天田和尚から二人の方に視線を戻した。
「あ、二人が居ない!」
「なんぢゃ?いったいどうしたんぢゃ?」
 直哉が辺りを見回すと森の中に入っていく人影が目に入った。
「すいません、訳は後で説明します」
 直哉は和尚の質問には答えずにその人影を追いかけた。
「何処に行ったんだ?」
 森の中に入って少しして、直哉は誰にいうともなくつぶやいた。その瞬間直哉は何かが足にぶつかるのを感じた。その何かは少し転がり、木に当たって動きを止めた。よく見るとそれはライターだった。直哉は指紋を付けないようにライターを拾い上げると、少し調べてみた。そのライターにはK.Kと文字が彫られていた。
「これは川辺けんすけの物?」
 と、その時直哉の耳に誰かの話し声が聞こえてきた。直哉は考える間も惜しむようにその声のした方向に駆けだした。声はどんどん近くなって来る。と、直哉の目に飛び込んできた光景は、一人の男性が今まさに殺されようとする瞬間だった。
「やめろー!」
 直哉は自分が意識する前に叫んでいた。そして二人の男性の間に割って入った。 バーンという乾いた爆発音が直哉の耳を衝き、それに少し遅れて左肩に激しい痛みを感じた。
 うっ、直哉は声にならない声を挙げ左肩を抑えた。ヌルッとした生暖かい感触が自分が、撃たれたという現実をはっきりと教えてくれる。
「犯人はあなただったんですね、佐々木刑事」
 直哉は目の前で拳銃を構えたままの佐々木を真剣な表情で見つめた。
「何を言ってるんだ、私が犯人だなんて」
 佐々木は構えていた拳銃を腋に戻すと、わざとらしい位大げさに肩をすくめて見せた。しかし直哉はそんな様子が見えていないかのように、
「絞殺、撲殺、毒殺の次は銃殺ですか」
と佐々木を睨み付けつつ言葉を続けた。
「ナイフを持って襲ってきた犯人に対し、自分の身を守るために発砲する。犯人はすでに三人も殺している凶悪犯だ、あなたは拳銃を携帯していてもおかしくはない。拳銃で撃たれた犯人は倒れた拍子に手に持っていたナイフで自分の胸を刺してしまう。今まで死体の胸にナイフを突き刺し続けてきた犯人は、最後に自分の胸にナイフを突き刺すことになった。今回の筋書きはこんな所ですか、佐々木刑事?」
「銃殺?今発砲したことを言っているのなら、あれは威嚇射撃のつもりだったんだよ、西村が逃げようとしたのでね、それを君が急に横から飛び出して・・・、そうだ、傷は大丈夫かい?」
 佐々木は思いだしたように言葉を付け足したが、そこには心配しているような気配はほとんど含まれていなかった。佐々木は口先だけの心配の言葉を並べながら直哉に近づいてきた。
「僕は大丈夫ですから。それにしても、威嚇射撃は空に向けて撃つものだと思っていましたよ、例え狙いをはずしたとしても、前方に撃っては何の拍子に当たるか分かりませんよね?」
「・・・」
「あれ、西村さんがいませんよ。追いかけなくて良いんですか?」
 直哉は沈黙が続くと意識を失うような気がして話し続けた。
「君のことが心配だからね」
 佐々木の表情には心配の色は全く浮かんでいなかった。
「それは心配でしょうね、西村さんがあなたのことを犯人だと言っても誰も信じないでしょう、それより今は僕の話を聞くべきだと判断した。違いますか?」
「随分とひどい言いがかりだね、何を証拠に」
「証拠は先生が逮捕されたことです」
「?・・・」
「不思議に思っていたんですよ、現場に先生の指紋が残っていたからと言って、内藤まさひこの死体発見から数時間で先生が逮捕されるなんて・・・早過ぎるとね」
 直哉は激しくなった肩の痛みに何度か言葉を途切らせながら話し続けた。
「そして、先生はたばこを吸いません。つまり・・・先生が灰皿に触れる理由は無いんです。それなのに、灰皿を凶器に選んだ・・・。つまり、犯人は先生が灰皿に触ったことを知っていたことになります。だってそうでしょ?犯人はその時間、先生を・・・現場付近に電話で呼び出しているんです。つまり、犯人は先生に罪をかぶせる気でいたんですから。その両方を満たすことが出来る人物は、捜査の責任者であり、先生が内藤の家を訪れるときに一緒にいた佐々木刑事、あなただと言うことに・・・なります。多分あなたは昼間、たばこを吸う時にでも先生に灰皿を取ってもらったんでしょう」
 直哉は額に浮かんだ汗を右手の甲で拭った。手の甲が触れた額は少し熱く感じた。
「熱を持っている・・・」
 直哉は佐々木に聞こえないように呟いた。
「おもしろい意見です。なんだか君の意見に興味が湧いてきましたよ。私が犯人だと言うことを認める訳にはいきませんが、そう仮定して話を聞きましょう。何か参考になることが有るかもしれない」
 佐々木は口の端に薄い笑いを浮かべた。
「ありがとうございます」直哉は痛む肩をかばいながら頭を下げた。
「それで、私が犯人だとして最初の事件、どうやって足跡を残さずに現場から立ち去ることが出来たのか、教えてもらえますか?現場には被害者の足跡しか残っていなかったと思いますが?」
「その前に、あなたが行ったことを順を追って説明していきましょう」
「私のした事、ね」
「はい、あなたのした事です。あなたは4日前、内藤の名前を語って川辺けんすけに電話をかけ、この神社へ呼び出したんです」
「はは、ちょっと待ってくれないかな、いくら私が電話で内藤の名前を語ったところで、川辺が私の声を聞けば内藤ではないことぐらい分かったでしょう?もし機械で声を変えたところで、今度は怪しまれるだろうし」
「だからあなたは川辺がいない時を狙って電話をかけ、そして、言づてという形で川辺に連絡したんです。それにもし川辺本人が出たとしても二人は十年以上も会っていなかったんです、内藤本人で無いことが気付かれることは、そうそう無かったと思いますね」
 直哉は佐々木の言葉を待たずにそのまま話を続ける。
「次にあなたは空木先生に電話し、呼び出すことにより先生に確固たるアリバイを失わせた。この事からも犯人はあなただと示唆する一端が有ります。それは、何故先生をスケープゴートに選んだかと言うことです。それは、先生が川辺や内藤達について調べていた事を、犯人が知っていたからです。あなたは、先生が彼らのことを調べていることを、丸山刑事から聞いていましたね?」
 佐々木はただ黙って直哉の言葉を聞いていた。まるで、直哉の言葉の何処かに何か隙はないかと見定めようとするように。
「そしてその後、いやこれは前でも良いんですが西村に現場に来るように電話をかけた。どんな理由で呼び出したのかは分かりませんが、この件に関しては西村さんの口から直接聞くことが出来るかもしれません」
 直哉はきりがないと思ったのか、額に浮かぶ汗を拭うことをやめてしまっている。
「そして、あなたは川辺を殺した」
「・・・」
「次に内藤まさひこ殺害ですが、この事件に関しては難しいことは有りません。ただあなたが一言、内藤の様子を見に来たとでも言えば家の中へ上げてもらえたでしょうからね。もちろんここでも、あなたは川辺殺害の折と同じ方法で、・・・先生のアリバイを無くさせる工作は忘れない。そしてさっき説明した先生を犯人にしたてる工作も」
 直哉は息も絶え絶えに話続ける。
「岸上やすしの時はもっと単純です。この時は何の工作もしていない、ただ岸上の家に行き毒を混ぜた飲み物でも飲ましたんですよ」
「そこまで言うのなら、川辺けんすけ殺害時の足跡のない現場、この謎については分かったんでしょうね?先程は故意にその話を避けたようですが」
 佐々木は口調こそ丁寧だったが、まるで挑戦するかのような響きを言葉の中に含ませていた。
「ええ、分かりました」
 直哉はそれを受けると力強く頷いて見せた。
「それを今から説明します。犯人は被害者、つまり川辺けんすけを別の場所で殺害し、・・・川辺の死体を背負って泥の上を歩いたんです、川辺の靴を履いて。だから死体発見現場には争った形跡がなかったんですよ。ついでに言うと、本当の現場は森の中です。さっき森の中でこういう物を見つけましたから」そう言うと直哉はポケットの中から金色のライターを取りだして見せた。
 直哉の言葉を聞き佐々木は驚いたように片眉を一瞬跳ね上げたが、次の瞬間にはもう元の表情に戻っていた。
「おもしろいことを言う人だ。確かにそれなら足跡は一人分しか残らないでしょう、しかし、帰りはどうしたんです?まさか、被害者の靴を履いたまま、足跡の上を後ろ向きに歩いたなんて言わないでしょうね?君は知らないかもしれませんが、現場に残っていた靴跡は被害者が履いていた靴と一致しているんです。これは科捜研の調査でも確認されています」
「ええ、知りませんでした。そうなんですか。でも靴が違っている事に期待など端からしていませんよ。もし一致しないのなら、警察がすぐにその事実を見破る事くらい分かったはずですからね。そうなると、犯人がわざわざそんなことをした意味が分かりません」
「それなら私がどのように現場から立ち去ったのか、その方法を教えてもらえますか?」
 佐々木はへりくだったような口調の中に、上手にあざけりの響きを込めて直哉に問いかけた。しかしその冷たい表情は、直哉の次の言葉を聞いた瞬間に色を失った。
「犯人は、つまりあなたは木材の上を歩いたんです」
「し、しかし、木材の倒れる音を君は聞いているんじゃなかったのかい?」
 佐々木の態度は明らかに動揺していた。
「はい、聞きました。僕はあの音を聞いてすぐに現場に向かいましたが、そこから立ち去ったのは西村だけでした」
「それならやはり彼が犯人なのではないのかい、そう考えた方が妥当だろう?」
「いいえ、そうは思いません。僕が聞いたのは木材が倒れる音だけです。つまり、それ以前に木材が一本も倒れていなかったとは、泥の上を歩く橋になっていなかったとは言えないのです。それに、むしろ西村さんが犯人だと考える方が矛盾が出てくる」
「・・・」
 佐々木は胸のポケットに手を入れるとゆっくりとたばこを取りだす。そして一本口にくわえると火をつけた。
「どうしてそう思う?」
 佐々木はわざとらしい丁寧な口調を捨て、先を促した。
「死亡推定時刻と僕が音を聞いた時間との差ですよ。確か川辺さんの死亡推定時刻は8時頃でしたよね?けど、僕が木材の倒れる音を聞いたのは10時を少し過ぎていました。その2時間の間西村は何をしていたんでしょう、死体と二時間も一緒にいたんでしょうか?少しおかしいと思いませんか?」
「・・・」
 佐々木は言葉を発さず、目だけで話の先を続けるように促した。
「さて、犯人はどうしてこんな事をしなくてはならなかったのでしょうか?この理由として考えられることは2つ有ります。一つは自分の痕跡を現場に残さない。最近は大量生産、大量消費の時代のため、昔の小説のように靴跡から犯人の特定なんて出来ませんが、それでも靴のサイズ等は分かります。自分の体格を教えるような証拠は極力現場に残しておきたくなかった。そしてもう一つ、遠山たかおの犯行に見せたかった。これはわざわざ死体の胸にナイフを突き刺しているという行為でも説明されます。胸に刺さったナイフは17年前の事件を暗示しますから」
 遠山たかおの名前が出たとたん、佐々木の表情は険しくなった。それは全てを拒絶するような冷たい光を放ち、話し続ける直哉を射殺そうとするかのような禍々しさが込められていた。しかし、直哉は全くそんなことに気付かないかのように話を続ける。
「それならどうして犯人はわざわざ絞殺した後にナイフを刺したのでしょう?これは足跡のトリックを使うためです。あのトリックを使うためには川辺を別の場所で殺す必要が有った。あの場所で犯行を行ったのでは自分の足跡を残してしまいますから。しかし、ナイフで刺し殺したのでは川辺の体を運んだとき、通ってきた道に血痕を残す危険があった。そして犯人自身の体にも川辺の血痕が付着したでしょう。しかし、川辺の死体を発見現場まで運んだ後にナイフを突き刺せばこの問題は解決する」
 直哉は言葉を切った。佐々木は先程火をつけたきりで、ほとんど吸わなかったたばこが、もうほとんど灰だけになっていることに気付くと、携帯用の灰皿を取りだし、その中に捨てた。
「内藤が撲殺されたことも岸上が毒殺されたことも、この事実を隠すためだったんです。最初だけが絞殺で、後が刺殺だと絞殺だった理由について怪しまれますからね。そして、毎回凶器を変えた理由は、内藤殺害のためです。この事件で先生に罪を着せないといけませんでしたからね」
「どうして、そこまでして遠山たかおの犯行に見せる必要があったんだ?彼はすでに死んでいるんだ。死者を犯人だなんて言えば我々警察は世間の笑い物だ」
「もちろん、あなたは彼を犯人にするつもりなんて毛頭ありませんでした。ただ、彼の復讐をしているという意思表示がしたかっただけです。そして、それによって内藤や岸上に警戒心を植え付けたかった」
「警戒心を与えていったい何の得があると言うんだ?犯行を行いにくくするだけじゃないか」
「ふつうに考えるとそうでしょう。しかしそうでない場合もあります。例えば、被害者がその犯人を相当信頼している場合。そして、犯人が警察の場合です」
 直哉はすでに肩の痛みを忘れていた。ただ、この目の前にいる殺人者に自分は全てを知っていると伝えることのみに集中していた。
「分かった、脱帽だよ。俺が確かに奴ら三人を殺した。理由は遠山たかおの為の復讐さ。遠山さんはすばらしい人だった、例え知り合った期間は短くても、そんなことは関係ない、俺は彼を尊敬していた。それなのに、・・・奴らさえいなければ、彼は今でも生きていただろう、例え俺と知り合うことはなくてもな。遠山さんの命はあんな奴ら百人の命よりも重かった筈なんだ。それを、たかが地方の権力者の息子だか何だか知らないが、そんな奴のために・・・」
「・・・」
「しかし、俺は刑事だ。刑事は犯人を捕まえるのであって、犯人の罪を問う者ではない。だから俺は今まで我慢してきた。しかし、すでに事件から十七年経っている。殺人事件は時効を迎え、裁判所も奴らの罪を問えなくなった。そして、十五年前、遠山さんは獄中で、奥さんの死を聞かされ、失意の内に病気でなくなった。だから俺が奴らに罪を償わしてやったんだ、遠山さんを死なせたという罪を死という罰を持ってな!」
 直哉の体はそろそろ限界を迎えようとしていた。佐々木の何処か異常な告白もその感覚に影響を与えていたのかもしれない。そんな意識の中でも佐々木の言葉を異常だと感じていた。
 まだ佐々木の独白は続く。そして、気が付くと佐々木の手には拳銃が握られ、その照準の先には直哉がいた。
「お前も馬鹿な奴だ。わざわざ殺されに来るとはな」
「あなたは間違っている。復讐なんて何の意味もない、あなたは刑事として沢山の犯人を見てきてそうは思わなかったんですか?」
「うるさい、お前に何が分かる、幸せな家庭の中で育ってきたような奴らに何が分かるんだ!遠山さんには家族がいた。妻と、まだ生まれて間もない子供がいた。彼はこれから幸せな家庭を築こうとしていたんだ、それを奴らのせいで、しかも奴らはそれに飽きたらず、放火によって彼らの命を奪ったんだぞ!そんな奴らを許せるものか!」
「確かに放火によって遠山たかおの妻は死にました。しかし、その放火が彼らのものによるという証拠はないのでしょう?それに、息子は死んでいません。彼は孤児院に引き取られ、元気に成長し、父と母のことを調べるために探偵になり、毎日を一生懸命に生きています」
「そんな、・・・まさか」
「僕が遠山たかおの息子です」
「う、嘘だ。うそだ・・・、うそをつくな!」
 佐々木はそう叫ぶと拳銃の引き金に掛けた指に力を込めた。パーンと言う乾いた爆発音と同時に意識を失った。
 遠くで先生とあゆみちゃんの声が聞こえた気がした。

エピローグ

「・・・ん。・・や・ん。なお・く・」
 何か聞こえる・・・。声?この声聞いたことがある・・・。
「直哉君。直哉君!」
 誰かが呼んでいる。何処?何も見えない。そうか、目を閉じているから見えないんだ。目を、開ければ・・・。
 直哉は相当の努力を持って目を開ける。焦点が定まらず、視界がぼやける。白い天井との間に黒い影がある。何だろう?
 ぼやけた焦点を無理矢理にそちらに合わせる。何となく誰かの顔の輪郭であることは分かった。

「あゆみちゃん!?」
 直哉は上体をベッドから引き離した。その途端左肩を押さえ呻き声を上げた。
「駄目よ、傷はまだふさがってないんだから」
「ここは?」
「ここは病院だよ」
 直哉の問いに対し、答えたのは空木だった。
「先生、病院っていったい、・・・あっ!それで、あの後どうなったんですか?僕は佐々木に撃たれたはずじゃ」
「確かに、君は佐々木に左肩を撃たれた。佐々木は捕まったよ。君が持っていたテープが証拠になる筈だよ。無茶をして」
 空木は直哉に優しい微笑みを投げた。
「すいません。でも、証拠がなかったから、ああする以外に方法が思いつかなかったんです」
「でも無茶すぎるわ。一人で犯人に会って自白させようなんて」
「ごめん」
 あゆみは直哉の素直な言葉に毒気を抜かれたのか、一度大きくため息を付くと椅子に腰掛け、
「本当に危なかったんだから」
と、直哉と佐々木が向かい合っていた時のことを思い出していた。
 直哉も同じ時を思い出しているのか物問いたげな瞳で二人を見つめた。声に出して聞くとこの状況が消え、自分がすでに死んでいると気付かされるようで怖かった。
「大丈夫、君は生きているよ」
 空木は直哉に微笑んで見せた。多分直哉の考えていることが分かったのだろう。そして、それに続いてあゆみが、
「先生が佐々木刑事を撃って直哉君を助けてくれたのよ」
「え、佐々木を撃って?」
 そうか、あのとき聞いた銃声は先生が佐々木に向けて撃った音だったのか。でも・・・
「先生が拳銃を撃ったの?」
「うん」
 直哉は空木の顔をまじまじと見る。
「こう見えても昔は射撃で国体まで出たんだよ」
「いえ、そう言うことではなく、先生拳銃なんて持ってたんですか?」
 日本国内では一般市民の拳銃の携帯は許されていない。それは探偵とても例外ではない。いや、探偵とはもともと資格も何も存在しないため、一市民なのだ。それが例え空木が警察に信頼の厚い人物だとしても、拳銃を持つと言うことは法に触れる。
「まさか、僕が法を犯すと思うかい?借りたんだよ、丸山刑事に」
「良く貸してくれましたね、拳銃を貸すと言うことは刑事規約に反するんじゃないですか?」
 その言葉にあゆみは吹き出した。
「??」
 直哉は何故あゆみが突然笑い出したのか分からず、呆然とした顔でその顔を見ていた。
「本当はね、丸山刑事が撃つのを躊躇っている横から拳銃を奪って撃ったのよ。それで、その後先生は丸山さんに大目玉を食らって」
 あゆみは空木の怒られている姿を思い出しているのか笑いながら説明した。
 直哉が空木を見ると少し憮然とした表情を浮かべていた。
「それで、佐々木は?」
「大丈夫、彼が持っていた拳銃を撃っただけだから彼自身に怪我はないよ」
「それで、どんな様子ですか?」
「うん、どうも神経がだいぶ参っていたみたいだね。ずっと殺人事件ばかり捜査してきたんだから無理もないかもしれない。そんなときに思い出したのが遠山たかおの事だったみたいだね」
「でも、どうして急に復讐なんて」
 直哉は分からないとでも言いたいかのように首を振った。
「実際の所犯罪を犯す人物の考えなんて僕たちには分からないから、いや、犯罪を犯した本人にすら分からないのかもね。ただ、遠山たかおはただのきっかけだったんだと僕は思うよ、動機では無くね」
 直哉は視線を窓の外に移し、黙って聞いていた。
「つまり、殺人の口実に使われたということですか?」
 あゆみは視線を直哉から空木に移し、隣にいる直哉に聞こえなければいいのにと無駄な祈りをしつつ、少し小声で聞いた。
 空木が無言でうなずくのを見るとすぐ、心配そうに直哉の顔を覗いた。しかし、直哉は視線を窓の外に向けたまま、二人の会話に全く反応を示さなかった。
 直哉の視線の先、そこには一条の煙が立ち上っていた。
「送り火ね」
 あゆみが呟く。
「送り火ってあの京都の?」
「うん、あれと同じ。お盆の間帰ってきていたご先祖様を、再び向こうにお送りするためにお盆の最終日に家の門の前で火をたくの。それを送り火というのよ」
「へえ」
 直哉はそれ以上何も言わなかった。空木とあゆみもそれに習って無言でいた。三人は黙って立ち上る煙を見つめ続けた。
 

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