誰彼時の殺意
 

1.朝刊
19××年9月13日土曜日の朝刊より抜粋
 昨年、校長が自殺し、校舎内から15年前に失踪した女生徒の死体が発見され話題になった丑美津高校で、新たな事件が発生した。事件の被害者は同校に通う1年の羽生千明(はにゅう・ちあき)さん15才で、学校内では旧校舎と呼ばれる人通りの少ない地帯で首を絞められ殺されている所を、被害者の兄であり千明さんと同じ高校に通う羽生昌明(まさあき)さん16才により発見された。友人と遊んで家に帰った時、千明さんがまだ帰宅していないことを不審に思った昌明さんはまず学校を探そうと丑美津高校に戻った所ですでに冷たくなっている千明さんを発見した。千明さんはその時すでに死後1時間以上が経過していた。捜査当局は千明さんの着衣に乱れもなく、財布等といった金目の物も全て所持していた所から怨恨による犯行と見て、捜査を進めている。
 丑美津高校は、昨年の10月生徒からの人望も厚かった校長が…

「これはいったい?」
 高田直哉は空木探偵事務所のキッチンで、走り込んできた同僚の橘あゆみの剣幕に押され、かじり掛けのトーストを皿に戻すと、彼女が押しつけてきた新聞に目を通した。
「昨日の夜、学校で、殺人が、あったみたいなの」
 あゆみは息を整えながらとぎれとぎれに話す。彼女はいつものように髪を一つにまとめて右肩に垂らしていたが、その髪は走ってきたためか少し乱れていた。直哉が彼女を落ち着かせるためにコップに水を入れて手渡すと、彼女はそれに口を付けた。
「でも、僕たちの所には警察からは何も連絡はなかったし、そもそも一介の私立探偵には殺人事件を捜査する権利なんて無いよ。先生なら別だけどね」
 直哉は彼の上司である空木俊介の顔を思い浮かべた。彼は警察にも信頼されている名探偵で、警察から直接、捜査に対する協力依頼を受けたりもしていた。しかし、残念なことに空木は昨日から出張に出てしまい、不在だった。
「でも、この間は直哉君が捜査していたじゃない」
「それは先生が依頼を受けたからだよ。僕が勝手にした訳じゃない。それに、僕もあゆみちゃんもまだ助手だしね。先生がいないときに勝手なことは出来ないよ」
「もう良いわよ。直哉君には頼まない」
 あゆみは身を翻すと駆け足で扉から外に飛び出した。取り残された形になった直哉は皿の上に残った冷めかけたトーストと飲みかけの牛乳に目をやると、大きく一度息を吐くと、あゆみを追いかけて同じ扉から外に出た。少しも進まないうちにあゆみの後ろ姿が見えた。
直哉はあゆみに追いつくと彼女の肩を掴み振り向かせる。あゆみは眉をつり上げて直哉をにらんできた。
「ほら、行くよ」
 直哉はそんなあゆみの視線を気にせず、彼女の腕を掴むとそれだけを言って歩き出した。
「ちょっと、何処に行くのよ」
 あゆみが抗議の声を上げると、
「情報を集めるにはまず警察だよ」

2.羽生千明
「やあ、高田君、久しぶりだね。空木さんは元気かい?」
 いつもの帽子を頭に載せた丸山刑事が警察署の応接室で、突然訪れた直哉の呼びかけに応じて姿を現した。
「おや、そちらのお嬢さんは確か」
 丸山はあゆみの顔に目をとめると、
「そうか、あの時の。確か、今は空木さんのところで働いているんだったね」
「はい、お久しぶりです。その節はお世話になりました」
 あゆみは深く頭を下げる。
「いやいや、気にしないでくれ。それよりも、今日はおそろいでどうしたんだい?」
「はい、実は聞きたいことがあるんです」
 直哉の言葉に丸山は眉をひそめると、
「丑美津高校の事件かい?」
「はい。何か知らないかと思った物ですから」
 直哉の言葉に丸山は申し訳なさそうな表情を浮かべると、
「残念だけど、捜査上の秘密は一般人に教えるわけにはいかないんだよ。とはいえ、君たちには世話になったし、話して問題の無いレベルまでなら話してあげるよ」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「いや。それよりも何を聞きたい? とはいえ、事件があったのは昨日の夜だからね、まだ全然捜査し切れていないのが現状だけど」
「それじゃぁ、まず、被害者の事について教えてもらえませんか?」
「被害者か、彼女はまだ一年になったばかりだったようだね。かわいそうに。素崩壊棒の結果、死因は絞殺、死亡推定時刻は昨日の午後7時から8時の間と見られているよ。さすがにその時間ともなると校舎に残っていた人間は少ないようだね。そして、犯行現場が旧校舎と言うこともあって発見されたのは9時になってからだったよ」
「でも、学校はいつも、夜になると宿直の職員が見回りをするはずですけど。確か、昨日は田崎さんがその役目じゃなかったかしら?」
 あゆみが質問を挟むと、丸山は大きく頷き、
「確かに、7時半に田崎がその場所を見たときには異常はなかったらしい。つまり、犯行があったのは昨日の7時半から8時の間と言うことになるね。田崎が言うには次にそこを見回るのは9時半頃のつもりだったらしい。だから、遅かれ早かれ事件は昨日のうちに発見はされていたと思うよ」
「被害者の、えーと、誰だったっけ?」
「羽生千明さん」
 直哉が質問しようと口を開いたが、被害者の名前が思い出せず、あゆみに助けを求める。彼女は正面を向いたまま名前だけを告げた。
「ああ、そうそう。その羽生さんですけど、彼女はどうしてそんな時間まで学校に残っていたんですか?」
 直哉が改めて疑問点を口にする。
「なんでも、部活動で遅くなったようだね。彼女は演劇部に入っていたんだが、中学時代から演劇に入れ込んでいたらしくてね、一年生ながら重要な役を振られたらしいんだ。まあ、期待のホープと言うやつだね。その練習で他の部員達の一部と一緒に遅くまで残っていたんだよ。来月、劇の発表会があるとかでね。その日、遅くまで残っていた部活は演劇部だけのようだね」
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
「うちの学校は、基本的に6時を過ぎても活動をするには申請がいるからよ。多分、昨日申請を出していた部活が演劇部しかなかったんでしょう」
「その通りだよ。なかなか鋭いね。その日、学校に残っていたのは演劇部部長の烏丸圭壱と副部長の都筑すずめ、それと演劇部二年の鳩山伸英、演劇部顧問の杵嶋徹、そして羽生千明の五人だけだったんだよ」
「杵嶋先生?」
 直哉は聞き慣れない名前に首をかしげると、
「今年入った新任の先生なの。直哉君が知らなくてもおかしくないわ」
「ただし、その部活も午後7時には切り上げたらしい。部員達はそれぞれがバラバラに帰ったので、みんなが何時に帰ったのかは本人の言葉を信じるしかないが、教師の杵嶋以外は7時30分前には皆校門を出たと言っているよ。皆の言葉をそのまま信じるとしたら最後に学校を出たのは二年の鳩山だね。彼が7時25分頃に校門を出たと言っているよ。部長の烏丸は7時10分、副部長の都筑は7時15分にそれぞれ校門を出ているらしい」
「どうしてみんなそんなに差があるんですか?」
「都筑君が言うには女性の方が支度に時間が掛かるから、部長より遅かったなんて言ってるがね。それと、鳩山は後かたづけに手間取ったと言っている。後かたづけは被害者の羽生と二人でやっていたんだが、それが終わったのが7時20分。鳩山は最初、危ないから一緒に帰ろうかと羽生を誘ったらしいんだけどね、二人の家の方向が全く逆だからと、断られたらしいんだ。だから、彼はとても後悔しているよ。無理矢理にでも送っていけば良かったとね」
「第一発見者は被害者の兄だったらしいですね」
「ああ。被害者の帰りが遅い事に心配したらしくてね、まず学校を探そうとした所、旧校舎で妹の変わり果てた姿を発見したというわけだよ」
「それは、ショックだったでしょうね」
「そうだろうね。被害者の兄からは、さすがにショックが大きかったらしくてまだ十分に話は聞けていないんだ」
「この短時間で良くそれだけ調べられましたね」
「いや、まだ表面を撫でた程度だよ。本格的な捜査はこれからだ。特に、第一発見者の昌明からはもっと詳しく話を聞かないといけないと思っているんだよ」
 丸山はそこで、あゆみと直哉の視線を感じたように言葉を切ると、
「何だったら一緒に来てみるかい? 彼には今から伺うことの了解は得ているんだ。もっとも、本人が拒絶したら君たちには帰ってもらうことになると思うけどね」
「それで構いません。お願いします」
 あゆみは立ち上がると、再び深く頭を下げた。

3.羽生昌明
「ここが羽生さんの家ですか?」
 直哉は門扉の前に立って不思議そうな声を出した。
「昨日確認した所では、住所はここだと言うことになっているよ」
 丸山はそう言うと再度表札を確認した。表札には『鵲』とだけ有った。
「これはなんと読むんですか?」
「ん? これはカササギだね。ほら、七夕の話なんかで良く耳にするだろう?」
「七夕ですか?」
 直哉が良く理解できない、と言う表情をしたので、丸山は自分自身がそれ以上の話をあまり知らないこともあり、説明することをあきらめた。
「とりあえず、ここにぼーっと立っていても始まらない」
 丸山が呼び鈴を押すと、しばらくして少し嗄れ気味の女性の声がインターホンの向こうから聞こえてきた。
「先ほど連絡させていただいた、刑事の丸山ですが」
「はい、今開けますので、少々お待ち下さい」
 しばらく待たされてから扉が開く。40代後半とおぼしき女性が顔を出すと、丸山の姿を見つけ会釈をした。
「このたびは、ご愁傷様です」
 丸山が頭を下げるのにつられる形で直哉とあゆみも頭を下げる。女性はそんな直哉達の姿に気が付くと不審気に眉をひそめた。
「彼は探偵の高田直哉君です。彼女は丑美津高校について公正な情報を我々に提供をしてくれる橘あゆみ君、どちらも事件の捜査に協力してもらうために付いてきてもらいました」
 丸山が女性の視線に気が付いて慌てて弁明をする。
「まあ、そうですか」
 女性はあまり感情のこもらない声で答えると、三人を応接室へと通した。

 女性が昌明を呼びに行ってくると言い残して部屋を出た後数分して男性が姿を現した。その顔色はショックのためか蒼白で、足下も覚束ないかのように少しふらふらしていた。
「このたびは大変なことで」
「いえ」
 昌明は少し震える声でそう言っただけで雲を踏むような足取りで応接間に入ってくると室内にいるあゆみに気が付くと驚いて足を止めた。
 あゆみが沈鬱そうな表情で頭を下げると、
「どうして橘がここに?」
 と、少しかすれ気味の声で問いかけた。しかし、あゆみが口を開くよりも早く、
「ふん、そうか、野次馬根性って奴か、見損なったよ」
 あゆみはその言葉にショックを受けたらしく、うつむき、肩をふるわした。
「あゆみちゃんは、そんなお遊び気分でここに来た訳じゃない! 真剣に犯人を捕まえたいと思ってここにいるんだ!」
 直哉は机を叩いて立ち上がると叫び声を上げる。
「直哉君、良いの。そう思われても仕方ないんだから」
「でも、あゆみちゃん」
「誰かと思ったら君は噂の探偵君じゃないか。なるほど、二人が付き合っているという噂は本当だったんだな」
「行こう、あゆみちゃん。こんな、自分の不幸に酔っている奴なんかの為に働く事なんて無いよ」
 昌明の言葉に耐えきれなくなった直哉はあゆみの腕を掴むと立ち上がらせ、昌明を睨み付けた。
「でも」
「そりゃ、妹が殺されたことに対しては同情するよ。でも、わざわざ心配して様子を見に来てくれたあゆみちゃんに向かって暴言を吐く奴なんて、不幸になって当然だ」
「いい加減、やめないか、君たち」
 それまで黙っていた丸山刑事が声を荒げる。
「高田君、売り言葉に買い言葉なのは分かるが、君も言い過ぎだ。これから探偵を続けていこうとするのなら、その性格は直さないといけないね。とにかく今日は二人とも帰りなさい。君たちがいては話が進まない。とりあえず、事情聴取は私がやるから」
「すみません」
「ごめんなさい」
「分かったのなら帰りなさい」
 丸山の言葉にうなずくと、二人はうつむいて鵲と表札の掛けられている門をくぐって外に出た。
「ごめんね、あゆみちゃん。僕がいらないことを言ったから」
「ううん。でも、少し嬉しかった。私のために怒ってくれて」
 二人はそれ以上会話らしき物はせず、まっすぐに事務所への道を歩いた。

4.羽生兄妹
「でも、いくら丑美津高校の生徒が殺されたからと言って、いったいどうしたの? 普段のあゆみちゃんらしくないよ」
 事務所に戻った二人は特に言葉もなく、それぞれの席に座ったが、その沈黙に耐えきれなくなった直哉があゆみに質問する。
「そうかな?」
「いや、たまには無茶もするけど」
 直哉はあゆみと初めて出会ったときの事件を思い浮かべる。あの時も確かにかなりの無茶はしていたが、それは小島洋子という、彼女にとっての親友の死が大きく影響していたことは簡単に想像できた。となると今回も、直哉の頭の中ではそのような結論に向かって思考が進んでいた。
「あ、ひどい。まあ、良いけどね。事実だし」
 あゆみも同じ事を思い浮かべているのかそう言って微笑むと、続けて、
「羽生千明さんと昌明君はね、洋子の幼なじみだったらしいの」
「洋子って、小島洋子?」
「そう。なんでも、幼稚園に通っていたときから友達だったらしいの。遊ぶときはいつも三人でね。だから、あの二人は私の知らない洋子を沢山知っているのよ」
「でも、それなら前の事件の時にどうして紹介してくれなかったの?」
「それはね、あの時には二人ともうちの学校にはいなかったから」
 あゆみはそう言うと、少し寂しそうに目を細めた。その視線は直哉に向けられていたが、その目は彼ではなく過去を追想しているかのようだった。

「あなたが橘あゆみさん?」
 それは私が二年になったばかり、まだ校庭では桜が花を咲かせている頃だった。その時の私は二年という新しい立場になったことに対する期待に胸をふくらませていたような気がする。しかし、その一方で、洋子のことを思い出すと、どうして彼女は今、私の隣にいないのだろう? と、胸が締め付けられるような、そんな感情に駆られた。私はその時、たまたま友達と別れて一人きりだった。だからこそそんな感傷に駆られたのかもしれない。それとも、これから起こることを予感してか。とにかく私は、そんな感傷と共にあるときに聞き覚えのない声に後ろから呼びかけられた。私は不思議に思いながらも振り返った。声を掛けてきたのは、うちの制服を着た、今まで見たこともない女の子だった。その隣には、こっちも見たことのない、それでも、やっぱりうちの制服を着た男子生徒が、彼女を不安そうに見ながら立っていた。彼女は少しはにかみながら、でも良く響く声でもう一度、
「あなたが橘あゆみさんですね」
「そうだけどあなたは?」
 私が問い返すと彼女は突然、深く頭を下げて、
「突然呼びかけてごめんなさい。でも、どうしても会っておきたかったの。あの、洋子、あ、いや、小島洋子を知っていますよね」
 私は突然飛び出した洋子の名前に驚きながら頷き返した。すると彼女はまた頭を深く下げて、
「あなたは洋子と親友だったと聞きました。だから、挨拶をしておきたくて」
「どういう事?」
「私、羽生千明と言います。そして、こっちは兄の昌明。私たちと洋子は幼なじみだったんです。家庭の事情で遠くに引っ越してしまいましたから、中学からは別々になってしまいましたけど、でも、幼稚園から小学校の間はいつもずっと一緒でした。それで、今月からこの町に戻ってきて、彼女がいたこの学校に通いたくて」
「でも、洋子は」
「知っています。だからあなたに会いに来たんです」
 千明は私の言葉を遮るように声を出した。多分、彼女もまだ吹っ切れてはいないのだろう、私と同じように。
 それから私と千明さん、昌明君とは良く会うようになった。私は彼女たちから、本当なら今、洋子と一緒に些細なことで笑いあい、積み上げていったであろうはずの記憶の代わりとして、彼女たちが知っている洋子を、私は彼女たちに、私の持っている悲しいくらいに少しの、それでも私にとってはもっとも大切な思い出を、お互いに分け合った。
 それから少しして、彼女たちが引っ越しをしたのは両親の離婚が原因であり、そして、この町に戻ってきたのは、二人を引き取った母親が過労のために死んでしまったためだと聞いた。そんなことを淡々と話す二人は、しかし、お互いがいるから寂しくないのだと言った。そして、この場に洋子がいないことが寂しいのだとも。

 あゆみの話を聞き終えた直哉は複雑な表情を浮かべていた。それは、その兄妹にどこか自分と似たものを感じたからだろうか、それとも、自分との境遇の違いに愕然としたのだろうか、ただ言えることは、この瞬間の直哉は昌明の先ほどの対応を仕方なかったものとして受け入れていた。
「でも、そうなると、どうしても犯人を見つけたくなってくるね」
 直哉は強い決意をにじませながらあゆみに話しかける。彼女は強く頷く。
「分かった。調べよう。僕たちにどれだけのことができるかは分からないけど、ここでじっとしていても何も出来ないよ。でも、その前に簡単に疑問点について整理してみよう」
 直哉はそう言うと、探偵助手になってからもう何冊目になるのか分からない手帳を取り出して、さっき警察署で聞いた時に書き取ったメモのページを開いた。
「とりあえず、被害者、千明さんの事についてだけど、さっきの話で大体は理解できたけど、一つだけ分からないことがあるんだ」
 直哉はそう言うと、少し考えるように視線を泳がせ、
「あの、鵲だったっけ、あれはどういう事なの? あれは父方の名字だとか?」
「ううん、違うわ。二人の父親はもう再婚しているそうよ。もう二人の顔を見にも来ない、それどころか、母親が死んだとき、二人に手紙が送られてきたと聞いたわ。今、私には新しい家庭がある。この家庭を壊すようなまねはしてくれるな。とか、そんな内容だったそうよ。昌明君はそれを読んだ瞬間に破り捨てて千明さんには見せなかったそうだけど」
「それは、ひどいね」
 直哉はそれだけしか言えなかった。しかし彼は、自分の両親ももしかしたら、そんな思いに駆られると、人ごとだとは思えない、薄ら寒い物を感じていた。
「ええ。だから、二人はますますお互いが依存し合うようになったのね。だから、今住んでいる家は母方の親戚らしいわ。もっとも、あまり歓迎されている雰囲気ではないけど」
「千明さんを恨むような人物に心当たりはない?」
「それは思いつかないわ」
 あゆみは首を横に振る。そして、
「でも、演劇部の関係者なら、もしかして、千明さんに役を取られたと感じた人がいたりしたら」
「言葉は悪いけど、たかが高校の演劇で人を殺したいと思うほどの動機が生まれるかな」
「それは分からないわよ。何処に動機があるかはわからないんだから。あ、もしかしたら、二人は元々この辺に住んでいたわけだし、昔に何かあった人がいたかもしれない」
「とりあえず、思い当たることはないと言うことだね」
「結局はそうなるわね」
 直哉がため息を吐きながらそんな言葉を口にすると、あゆみもつられて、息を吐く。
「とりあえず、外に出よう。ここでくすぶっていても何もならない」
 直哉は気を取り直すように元気よく立ち上がると、あゆみを立たせて事務所を飛び出した。

5.死との対面
 それから数日の間は何事もなく過ぎた。直哉とあゆみは事件の動機を探るため、丑美津高校で聞き込みを行ったが、明確な動機を持つ人物は一人も浮かんでこなかった。ただ、新しく分かったことは、千明は近頃、鳩山と親しくなっていたようだ。二人は友人達の間では付き合っていると解釈されていたらしい。ただ、鳩山本人に確認を取った所、二人の関係はそんな物ではなく、どちらかというと、自分の片思い的な感情の流れしか存在しなかったと、鳩山自身は主張している。ただ、その為、鳩山の落ち込み様にはかなり激しい物があった。その一方で、部長である烏丸圭壱も千明には強烈なアピールをしていたらしい。しかし、千明はこちらとはあまり踏み込んだ関係にはなっていなかった。どちらかというと千明は彼の存在を避けていたらしい。また、都筑は近頃、付き合っていた烏丸と分かれている。これは、千明に対する動機になると、取れなくもなかった。しかし、本人は自分から烏丸を振ったのだと嘯いていた。結局、決定的と呼べる物は何も見当たらなかった。
 そして、千明の事件が起こってから5日後の水曜日、再度事件が起こった。そして、今度の発見者は事件の捜査に奔走していたあゆみだった。
 あゆみは事件が有ってから後、毎日放課後に事件の捜査を行っていた。そして、毎日がそうであったように、その日も気が付くと下校時間である6時が目前に迫っていた。あゆみはすっかり暗くなった校庭を歩いていたが、それでも、事件の現場に花を添えるため、旧校舎へと急いで向かった。あゆみが旧校舎に向かうと、そこにうずくまっている人影が見えた。元々旧校舎は事件の起こる前から人通りが少なかったが、事件が起こってからますます人通りは途絶えていたため、あゆみは少し怪訝に思った。その一方で、現場に花を供えるために足を運ぶ人物も数人いた。それが、あゆみと昌明、そして鳩山である。時間も遅いため、それが誰かは遠くからでは分からなかったが、多分、その二人のどちらかだろうとあゆみは考えた。彼女は、もしその人影が昌明だったらどうしようかと不安を感じながらも、それでもその場所へと向かって歩いていった。昌明とは、あの一件以来、どうも顔を併せにくくなっている。そして、昌明の方でもあゆみを避けるような様子が見て取れていた。もし、仲直りするなら、良い機会かもしれない、彼女はそうやって自分を奮い立たせると、ゆっくりと歩いていった。
 それでも、あゆみは花を持つ手に、知らず知らずに力がこもっていた。そして、その人影が誰であるか分かるくらいに近づいたとき、あまりにも意外な状態に呆然としてしまった。その場には、あゆみが想定外の、しかし、いても実際は何らおかしくはない人物がいた。いや、その言い方は正しくないかもしれない。その場にいたのは演劇部部長の烏丸だった。しかし、その烏丸の首には学校指定の女子の制服に付けるスカーフが巻き付けられていた。そして、彼の様子は、間違いなく死んでいた。
 あゆみはショックで呆然としながらも、頭のどこかには、誰かに連絡しなければと叫んでいる冷静な部分があった。あゆみは踵を返すと走って校門へと向かった。そこでは直哉があゆみを待っているはずだ。とりあえずそこまで行けば。あゆみはただそれだけを思って走った。そして、校門に立つ直哉の姿を見つけると、さらに足を速めた。直哉はあゆみの姿を見つけると、そのただならぬ気配に気が付き、あゆみが口を開くよりも早く、
「どうしたの?」
 と、問いかけた。あゆみが今見たことを説明すると、直哉はあゆみに警察に連絡するように指示をした。
「おい、どうしたんだ?」
 そんな二人に突然男性が声をかけてきた。
「ひとみちゃん? こんな時間まで何をしているの?」
 その男性は二人の知人である河合ひとみだった。あゆみが突然ひとみが現れたことに驚いて声を上げると、ひとみは、
「今日は良い天気だったからな。屋上で、それよりも高田よ、そんなに慌てていったいどうしたんだ?」
「ちょうど良いところにきた、ねえひとみちゃん、しばらくここで出入りする人物を見張っていてくれないかな。出来れば不審な人物は引き留めておいてもらいたいんだけど」
「なんだか分からないが、まあ良いか。おまえの頼みじゃあ、断れねえからな。不審な人物がいないか見張っとけば良いんだろう? 俺様に任しときな」
「ありがとう、ひとみちゃん」
「いい加減、そのひとみちゃんというのはやめろ」
 そんなひとみの言葉を背に直哉は一人で現場である旧校舎へと急いだ。
 そこにはあゆみの言うとおりの光景が広がっていた。直哉は警察がくるまでに少し確認をしておこうと考えた。烏丸は旧校舎の壁に背中をより掛けるようにして死んでいた。その首には丑美津高校指定のスカーフが巻き付き、それが凶器ではあるのはほぼ間違いなかった。そして、現場には一冊の冊子が落ちていた。
 直哉がその冊子のタイトルをのぞき込もうとすると、後ろで足音が聞こえた。直哉が振り向くとあゆみが走ってきている姿がかすかに見えた。しかし、それ以外の人物がいるようには見えなかったので、多分、警察に連絡した後、その足で戻ってきたのだろうと予想をした。
「発見時、あゆみちゃんは、どうしてここに来たの?」
「現場に花でも添えようかと思って」
「と言うことは、この花はあゆみちゃんが?」
 直哉はそういうと、旧校舎の壁、丁度、塗り直されている辺りに置かれている花束をさして質問した。
「ううん。それは私じゃないわ。多分、昌明君か、鳩山君じゃないかしら。ここに花を添えるのはその二人くらいだから」
「となると、烏丸さんがここに来たのは花を供えるためではないんだね」
「多分、そう思うけど。それに、昨日まで、その花がここになかったのは間違いないから、今日置かれたんだと思うけど」
「今日? それは間違いない?」
「え? ええ、昨日は確かに何も無かったは。だから、今日、私は花を持ってきたくらいだし」
「ああ、なるほど」
 二人がそんな話をしているとき、周囲にパトカーのサイレンの音が響き渡った。そして、数刻もしないうちに現場は警察関係者達で一杯になった。
「君たち、大変なことになったね」
 二人の姿を見つけて丸山刑事が声を掛けてくる。直哉とあゆみはそろって首を縦に振る。
「しかも、ちょっとおかしな事になりそうだよ。あ、いや、同じ場所で連続して事件が起こっている時点でおかしな事には違いないんだけどね」
「いったい、何がおかしいことなんですか?」
 あゆみの質問に丸山は襟元をいじると、
「気が付いたかい?」
「スカーフのことですか?」
「そうだ。先日の事件の時も、凶器はあのスカーフだったんだ。ところで、あのスカーフは簡単に手に入る物なのかい?」
 と、最後の質問はあゆみに向けられた。
「学校関係者なら、多分簡単に買えるとは思います。ただ、基本的にこのスカーフは女子が使う物ですから、男子が買うと言うことは考えにくいですし、もし、男子がスカーフを買っていたら売店の人の印象に残ると思います」
「つまり、学校の売店でしか売っていないと言うことかな?」
「いえ、普通に制服を売っている店に行っても手に入るとは思います。ただ、その場合は多分注文して取り寄せて、と言う形になるんじゃないかと思います」
 あゆみは考えながら、ぽつりぽつりと自分の考えを語る。そして、その考えはその後の調査で概ね正しかった事が確認された。概ねというのはスカーフは確かに取り寄せるが、一部、ストックとして持っている分もあるとのことだった。ただし、その後の調査で、ここ最近でそのスカーフを販売した店はないことが分かった。
「なるほど。となると、犯人は女子生徒である可能性が高い、ということだね」
「かもしれません」
「他の可能性もあるのかい?」
「いえ、ただ、まだ明言は避けた方が良い気がしただけです」
「ふーむ、君は中々慎重なんだね」
 丸山が口の端を心持ち上げて微笑むと、あゆみは首を左右に振って否定する。
「とりあえず、死亡推定時刻が何時頃か分かりますか?」
「そうだね、まだ検死は行っていないが、それでもまだ死後硬直も始まっていないようだし、それに今日は少し暖かいからね。死後硬直の進みもそれほど遅くはないだろうから、今から一時間以内、つまり、5時半以降だというのは間違いないだろうね」
「と言うことは、あゆみちゃんがここに来たときは」
「犯行の直後だったかもしれないね。誰か怪しい人影とかは見なかったかい?」
「いいえ、特には気が付きませんでした」
 あゆみは首を強く横に振るとその質問を否定し、
「それよりも、私はもう帰っても良いでしょうか?」
「いや、すまないが、死体発見の状況について聞かせてもらいたいんでね、もうちょっとだけ付き合ってもらえるかな?」
 丸山の言葉にあゆみは、黙って首を縦に振った。
「あ、そうだ! ひとみちゃんのことを忘れてた」
「ひとみちゃんというのは?」
 突然声を上げた直哉の様子を怪訝そうに見ながら丸山刑事が問い返すと、
「門のところで、眉毛の無い生徒をみませんでしたか? 彼のことです」
「ああ、彼か。彼なら、何か用事があるからと言って帰ってしまったよ。ああ、そういえば、君に伝言だ。特に怪しいやつはいなかったぜ、あばよ。だそうだよ。今時あばよなんて言う子がいるとはね」
 丸山はひとみの言葉遣いが相当おかしかったのだろうか、わざわざ物まねまでして見せた。
「それで、今校門には」
「ああ、うちの者を一人貼り付けているよ。しかし、何かあるのかい?」
「実は、僕は五時半頃から校門のところにずっといたんですよ。久しぶりに葉山先生に会って少し立ち話をしていたものだから。でも、五時半以後、あの校門を通った人間はいないんです」
「と言うことは」
「ええ。まだ犯人は校内にいる可能性が高いんじゃないでしょうか」

6.二人の調査
 直哉とあゆみはいったん事務所に帰った後、今後の行動について話し合いを行った。
「でも、犯人があの時点でまだ校内にいたというのは間違いないのかしら?」
「その可能性は高いと思うよ」
「でも、塀を乗り越える事なんて簡単だし」
「確かにね。でも、わざわざそんなことをする理由がないよ。普通に門を通って出て行けば目立たないのに、わざわざ塀を越えるなんて。丑美津高校の塀は向こう側が見えないからね、もし乗り越えた向こうに誰か人がいたらよけいに印象に残ってしまうよ」
「となると、まだ校内に残っていた演劇部の人たちの中に」
「その可能性は高いね」
「そうよね」
 そう答えたあゆみの表情は、どこかほっとしたようで、その一方でどこか不安げなそんな印象を直哉は感じた。そして、
「じゃあ、明日からも別々に調査すると言うことで良いね。あゆみちゃんはこのまま千明さんの方面から、そして僕は烏丸の交友関係から、何かヒントはないか探ると言うことで」
 あゆみは心をどこかに置き忘れてきたかのように直哉の言葉にもしばらくの間反応を示さなかった。
「あゆみちゃん、あゆみちゃん?」
「え? あ、ああ。ええ。それでいいわ」
 何度かの呼びかけにやっと答えたあゆみは慌てて首を縦に振る。
「どうかしたの? 何か気が付いたことでも?」
「ううん。そんなんじゃないわ。ごめんなさい、今日はもう帰っても良い?」
「ああ、そうだね、もう遅いし、何だったら送っていくけど?」
「いいえ、大丈夫よ」
 直哉からの申し出をその言葉だけで断ると、あゆみは飛び出すようにして事務所を後にした。残された直哉はそんな様子に首をかしげたが、深く考えることはやめにして、明日からの捜査の仕方について、思考を移していった。

 直哉は丑美津高校を訪れると、まず、丑美津高校の職員室を尋ね、演劇部の事について詳しく情報を集めることにした。それによると、
「うちの演劇部は、昔は結構有名でね、演劇の全国コンクールに出場したりもしていたんだよ。しかし、ここ数年はめっきりご無沙汰でね。ただ、今年は一年生にすごい子が入って盛り上がっているという話だったんだよ」
「そうそう。だから、今年こそはコンクールに出場するんだと士気も挙がっていたんだけどねえ」
 別の教師が横合いから言葉を挟む。
「そうなんですか」
「ああ。脚本も、例年は部長が書くことになっているんだが、その烏丸も殺されてしまって、どうするつもりかな。いや、失礼、少し不謹慎だったね。それで、犯人の目星はついているのかい?」
「いえ、それはまだ」
「そうか、それは残念だ。去年の事件を解決した君ならもしかして、と思っているんだけどね」
「まだ、事実関係の確認しかできていません。それよりも、何か、烏丸さんが殺される、動機になりそうなことで、ご存じ有りませんか?」
「いや、そういうことは我々よりも、演劇部の顧問である杵嶋先生の方が詳しいんじゃないかな。いろいろと膝を交えて話し合っているとも聞いたしね。まあ、杵嶋先生も今年からだから必死なんだろうね」
「それでは、杵嶋先生はどちらに?」
「今は、ちょっと居ないみたいだね。でも、しばらくしたら戻ってこられると思うよ。あんな事があっては部活どころじゃないだろうからね。おっ、噂をすれば。杵嶋先生!」
 その教師は新しく職員室に入ってきた年の頃は30代後半位の男性の姿に気が付くと大きく手を挙げて呼びかけた。
「何ですか?」
「探偵君が聞きたいことを有るそうですよ」
「探偵君? ああ、君ですか。来るとは思っていましたよ」
 杵嶋は迷惑そうな表情を浮かべつつ、直哉に近づいてくる。
「烏丸のことですね」
「はい。少し質問させてください」
「それで、何が聞きたいんですか」
 杵嶋は不機嫌そうな表情は変えずに話の先を促す。
「単刀直入に聞きます。烏丸さんを恨んでいる人物に心当たりはありませんか?」
「烏丸を? いや、特に思いつきませんが」
「副部長の都筑さんと烏丸さんは以前付き合いがあり、今は分かれてしまったと聞きましたが」
「らしいですね。しかし、部活では特にぎすぎすした雰囲気もありませんでしたし、問題はなかったと思いますが」
「しかし、表面上はそうでも」
「確かに、心の内までは分かりません。しかし、それは誰にも言えることでしょう。それを教師だからと言って理解するべきだ、というのは教師という物に責任を押しつけすぎだとは思いませんか」
 そういいながら神経質そうに眼鏡に手をやる。
「誰もそんなことは。ただ、今は動機が何かを調べているだけで」
「ああ、動機ですね。ただ、残念ながら何も知りません」
 杵嶋は特に考えるそぶりも見せずに答える。その態度はこの会合が早く終わることを望んでいることをありありと示していた。
「そうですか。あと、昨日のことですが、昨日も演劇部の練習は行われたのですか?」
「もちろんです。確かに、羽生のことは残念でしたが、だからといって来月の発表会が無くなるわけではありませんから」
「確か、羽生千明さんには重要な役が振られていたんでしたよね、その点はどうしたんですか?」
「もちろん代役を立てますよ」
「いったい誰を?」
「2年の鷹取佳乃です。彼女も役者としての才能は高くてね、役を無難にはこなしてくれるでしょう。ただ、やはり千明は惜しいことをしました。あれだけ舞台映えをする女優は中々居ませんよ。ただ舞台の袖に立つだけで、人々が注目をしてしまうような、オーラとでも言えばいいのか、そんな物を彼女からは感じていただけに、本当に惜しいですよ」
「そうですか。では、昨日、遅くまで残っていたのは誰なのでしょうか?」
 直哉は杵嶋の態度に強い違和感を感じながらも質問を続ける。
「先週の事件のときのメンバーから羽生を除いて鷹取を加えた5人ですよ。私も入れてね」
「昨日の部活は何時まで?」
「とりあえず、5時半まで行いました。毎日延長の申請するわけにも行かなくてね。それに、一日くらいは休ませないと、と言う事で、毎週水曜日は早めに切り上げることにしているんですよ」
「それで、烏丸さんを最後に見たのは何時ごろですか?」
「ですから、5時半です。部活が終わると彼はすぐに出て行きましたから、何か用事でもあるのかと思いましたが」
「用事?」
「何の用事があったかは知りませんが、たぶん重要なことだったんでしょう。練習の途中も終始そわそわしていて、身が入っていないのは明らかでしたから」
「何か、変わったことはありませんでしたか?」
「そうですね、ほかには特に」
「そうですか。あ、演劇部の練習は今日は」
「体育館で行いますよ。とはいえ、烏丸の代わりをどうするか、まだ決まっていないので、今日は基礎練習だけ、ということになると思います」
「ということは、今日は早く終わるのですか?」
「そうなりますね」

 直哉は体育館を訪れると、そこに集まっていた演劇部に声を掛け、鷹取佳乃を呼んでもらった。
「何? 私、部活中なんだけど」
 現れた女性は不機嫌そうに直哉を眺める。少しきつそうに少し濃い眉や、大きな目は舞台映えしそうな印象を受けたが、面と向かってみると、ややきつそうな印象を人に与えていた。
「昨日の事を聞かせてもらいたいんですが」
「昨日? 何あなたは?」
「あ、僕は探偵の高田直哉といいます」
「探偵? ああ、君がうわさの探偵君か」
 鷹取は2年生なだけに昨年の事件を、ひいては探偵である高田直哉の存在を知っているらしい。興味深そうに直哉を見た後、
「で、昨日の何を聞きたいのかしら?」
「昨日は烏丸さんの姿を見ましたか?」
「そりゃ、部活中はいやでも見ていたわよ。でも、部長は終わったらすぐに飛び出していったから、それ以降は見ていないわ」
「そのとき、あなたは誰かと一緒にいましたか?」
「誰かとといわれても、ここで片づけをしてたわよ。部長も副部長もさっさと出て行っちゃうし」
「つまり」
「ま、アリバイは無しってわけね。あ、違ったわ。確か、鳩山君も一緒にいたわね。彼、黙々と片づけをしていたからいまいち印象に残っていないんだけど。ちなみに、羽生さんの時は私は家にいたわよ。こっちは証明してくれる人は家族しかいないけどね」
 彼女はそういうと可笑しそうに唇をゆがめ、
「もっとも、どのみち私には部長を殺す動機なんてないけど」
 本当にそうだろうか? 彼女には本当に烏丸を殺す動機はないか? いいや、そんな事はない。もし彼女が羽生千明殺害の犯人であり、その事を烏丸に知られたとしたら、立派な動機になる。そして、羽生千明殺害の動機ははっきりしている。千明が演じることになっていた役のためだ。しかし、以前にも思ったが、たかが高校の部活レベルの演劇で、役の為に殺人まで起こるだろうか。それだけが唯一の問題点であり、そして最大の問題でもあった。
「では、誰が動機を持っていたのでしょう?」
「そうねえ、副部長なんか、怪しいんじゃないかしら。あの人、部長に振られたから、相当怨んでいたと思うわよ。あとは、そうねえ、鳩山君なんかも大好きだった羽生さんにちょっかいを出してきた部長を恨んでいたかもね。ただ、こっちは動機としてちょっと弱いかな」
「そうですか。そういえば、都筑さんは、今日は?」
「副部長? 何でも、今日は学校を休んでいるそうよ。部長が殺されたのがショックだったのか、それとも自分で殺しておいて怖くなったのかは知らないけどね」
 鷹取は直哉に、もういいかしら? と断りを入れてから部活へと戻っていった。
 直哉は次に休憩中だった鳩山を呼び止めた。彼は事件のショックからか顔色の悪さが同情を誘う。
「お忙しいところすみません」
「いえ。で、何です?」
「烏丸さんの事について、彼が恨まれるような原因に何か思い当たることはありませんか?」
 鳩山はその質問に少し悩んだ後、
「すみません、特に何も」
「それでしたら、烏丸さんの様子で気になったことなんかはありませんか」
「気になったことですか、いえ、特には」
「昨日の部活中、様子がおかしかったと聞きましたが」
 直哉のその質問に鳩山は思い当たることがあったのか、
「そういえば、昨日、練習の途中から確かにそわそわし出しました。何か、時間を気にしているような、そんな印象で」
「練習の途中から?」
「ええ。最初のうちはそんなでもなかったですよ」
「その、態度が変わるきっかけが何か分かりませんか」
「きっかけですか」
 鳩山は昨日の様子を思い出すように目を閉じると、
「確か、本読みの途中でだったような気がします。それまではほとんどとちらなかった部長が、急にNGを連発したんです。多分その後から、様子がおかしかったと」
「本読みと言うと?」
 直哉が問いかけると鳩山は一冊の冊子を取り出し、
「これを読みながら、劇の練習をしていたんですよ。もっとも、部長がいなくなってしまって、発表会に出演できるかも分からなくなってしまいましたけどね。羽生のためにもこの発表会は成功させたいと思っていたんだけど」
 鳩山はそういうと、視線を直哉からはずし、悔しそうに唇をかみしめた。
「もう一つ、昨日のことを聞いても良いですか?」
「何です?」
「昨日、5時半から6時の間、あなたと鷹取さんは一緒にいたと聞きましたけど、本当ですか?」
「昨日ですか? ええ。ここの片づけは二人でしましたから。終わったのは6時ちょうどくらいですし。もっとも、会話らしい会話なんて一つもしていませんけどね。どうも、俺は彼女に嫌われているらしくて」

 直哉は都筑の家に行くと、すずめに面会を求めた。彼女は居間に直哉を通すと怯えたような目で直哉を眺めていた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「何が聞きたいの?」
「まずは、昨日の五時半以降のあなたの行動を教えていただけませんか?」
「私は、部活が終わったら小道具を片づけるために部室に向かったわ」
「それは一人で?」
「まあ、小道具を運ぶだけだし、それにあの日は簡単な練習だけだったから量もそんなに多くなかったから、一人で大丈夫だったのよ。もっとも、誰か一人位連れて行った方がよかったのかもしれないけど」
「それはどうして?」
「だって、一人だと、アリバイを証明してくれる人がいないじゃない」
 都筑は直哉と視線を合わそうとはせずに答える。
「それでは、昨日、あなたは烏丸さんをみましたか?」
「そりゃ、部活中は一緒にいました。でも、彼、部活が終わったらあわてて飛び出していったから、私は何も知らないわよ。そういえば、部活の最中もやたらと時間を気にしていたし、簡単なせりふを読み間違えたりもしていたし、何か、気に掛かる事なんかがあったのかもしれないわ。羽生さんのことがショックだった、と言うことでもないと思うけど。一昨日までは何とも、と言ったら語弊があるけど、昨日ほど取り乱してはいなかったから。だから、きっと、昨日の内に何かあったのよ。私は知らないけど」
 ここでも同じ証言が出てきたな。烏丸はいったい何をあわてていたのだろう? と直哉は考えた。その一方で、都筑の態度にも直哉は興味を引かれた。あまりにも多弁過ぎはしないだろうか? こちらが聞いていないことまで一度に話した。これは、彼女自身のどこかに後ろめたいことがあるのではないだろうか? しかし、さらに興味深い話が聞けるかもしれない。直哉はしばらくの間、彼女がしゃべるに任せることにした。
「そもそも、私と彼が付き合いだしたのだって、彼の方から強引に告白してきたのよ。私は別に、それほどでもなかったんだけど、そのときの彼があまりに真剣だったから、断るに断れなくて。それに、彼は結構人気もあったし、次期部長だったから、何かと便利かなとも思って。でも」
 それまで勢いよくしゃべっていた都筑は、しかしなぜかそこでで言葉を止めた。明らかに何かを言いかけたような、そんな印象を残しながらも口を閉ざしてしまった。
「でも?」
「いいえ、何でもないわ。死んだ人を悪く言うのはあまりほめられた事じゃないわよね」
 死んだ人を悪く? 今の話の中で、烏丸の事に対してそれほどひどいことを言っていただろうか? 確かに、良いことを言っていたわけではない。しかし、だからといって、悪口にも当たらないのではないか? つまり、「でも」の後に続けようとした言葉こそが、彼女が烏丸の事を悪く言う、という言葉に掛かっていたのだろう。しかし、それはいったい何だろう?
 直哉はそこまで考えたところで都筑が自分の顔を真剣な瞳で見ていることに気がついた。
「僕の顔に何かついていますか?」
「いいえ。ただ、不意に黙り込んだからどうしたのかと思って」
「ただ、次に聞くことを考えていただけです。烏丸さんは、どんな人物だったんですか?」
「どんな人物か? そうね、知的で落ち着いていて、それに人当たりがよくて、ちょっと融通の利かないところはあるけど、まあ、それほど悪い人じゃなかったんじゃないかしら」
 ?……ずいぶんと持って回った言い方をするな。まるで、自分はそうは思わないとでも言いたげだ。そんな直哉の思考を裏付けるように、
「たいていの人はそう思っていたんじゃないかしら」
「たいていの人というと、演劇部員の方たちなんかもですか? たとえば、羽生さんとか?」
 直哉は都筑の反応を見ようと羽生の名前を持ちだした。しかし、都筑はそれ以上、烏丸のことを話そうとはしなかった。そして不意に、最初に怯えていたことを思い出したかのように肩を震わせると、かたくなに口を閉ざしたまま直哉を追い出そうとした。
 直哉はとりあえずこの場は退散し、後日、出直すことにした。そして、事務所に戻ると、あゆみがすでに戻ってきていた。
「あゆみちゃん、そっちはどうだった?」
「うん、特に何も。直哉君は?」
「僕、僕はまだまだと言ったところかな」
 直哉はそういうと、推理を始めた。
 部長の烏丸と副部長の都筑は以前交際していたらしい。しかし、最近二人は別れている。その理由は最初の被害者、羽生の存在だとの噂だ。しかし、都筑本人に確認したところ、烏丸を降ったのは自分の方だという。ここまでは以前の証言と代わりがない。しかし、都筑は烏丸に何か含みがありそうだった。あの、「でも」の後に続く言葉は何だったのか? それが分かれば事件も少しは進展するかもしれない。
 新しい登場人物、鷹取佳乃はどう考えればいいだろうか? 彼女には千明殺害の動機らしきものは一応ある。しかし、一連の事件が同一人物の犯行であるとするなら、今回部長を殺害した理由は何だろう? 人を一人殺してまで役を手に入れておきながら、部長まで殺したとなると、その舞台自体がだめになりかねない。全くの無に帰す訳だ。これは大きな矛盾ではないか?
「あゆみちゃんは何か事件に関して分かったことはない?」
「ごめんなさい。私の方は特には」
「そう、まあ仕方ないよ。今日はもう遅いし、家まで送っていこうか?」
「ごめんなさい」
「気にしなくても良いよ。夜道の一人歩きは危険だからね」
 直哉の言葉にあゆみは不自然な笑みを浮かべただけで何も答えようとはしなかった。そして、あゆみの家への道の間、彼女は何かに思い悩んでいるのか、ほとんど口をきかなかった。
 しかし、直哉はその帰り道でも事件のことを考えていた。
 各人のアリバイという観点で見た場合、鷹取と鳩山は一緒にいたことから、二人が共犯ででもない限り犯行は不可能だろう。その一方で、都筑にはアリバイはない。また、顧問である杵嶋にもアリバイはない。しかし、杵嶋に動機はあるのだろうか?
 被害者の首に巻き付けられていたスカーフ、台本、羽生千明のためと思われる花束、現場に残されていたこの3つには何か意味があるのだろうか? そして、あゆみの悩みはいったい? 事件はますます混迷の度合いを深めていく。
 

7.新たなる事件
 直哉が事務所に戻ると留守番電話にメッセージが残されていた。
「先生からかな?」
 直哉はそんな予想をしながらメッセージを再生すると、
「おい、高田。おめえ、千明の事件を調べているんだな。何で俺様にいわねえんだ。水くさいじゃねえか。昨日、羽生にあわなけりゃ気づかなかったぞ。とにかく、明日、一度会おうぜ。時間は放課後、場所は旧校舎で待ってるからな」
「相変わらず、一方的だな」
 直哉は苦笑いを浮かべながら、明日からの捜査方針について考えることにした。

 次の日、直哉は丑美津高校の授業が終わる前にいったん警察に寄ることにした。
「やあ、高田君、何か分かったのかい?」
 運良く居合わせた丸山刑事を捕まえる事が出来た。応接室らしき部屋に通された直哉はそこで丸山と
「いえ、どちらかというと、何か新しい情報はないかと思って」
「新しい情報か、そうだね、情報といえるのかどうかは分からないけど、ここ最近で、丑美津高校指定のスカーフを購入した人物はいなかったよ。それと、現場に落ちていた台本だけどね、やっぱり、今度の演劇用のものだったらしい。しかし残念ながら、持ち主は被害者の烏丸だったよ」
 現場に残っていた台本は烏丸のものだった。しかし、どうして現場に有ったのだろう? 何か意味があるのか?
「その台本には指紋は?」
「それは、複数人の指紋が残っていたよ。誰でも触れるような状態だったみたいだからね、当然だろうね」
「そうですか、その台本、少し見せてもらっても良いですか?」
「それは別に構わないよ。そうだね、少し待っていてもらえるかな?」
 丸山刑事はそういうと立ち上がり、部屋を出て行った。しばらく待つと、丸山は透明な袋に入った台本とスカーフを持って現れた。
「もう全部調べているから、直接触っても大丈夫だよ」
 直哉はまず、スカーフを手に取ると、照明にかざしたりしながら調べる。
「残念ながら、布だからね、その手の物には指紋は付きにくいんだよ。ただ、付着していた血痕からは、被害者の物だったよ」
「そういえば、羽生さんが殺された時の凶器は」
「それはこっちだね」
 丸山はそういうと、もう一つのスカーフが入っている袋を取り出した。
「どちらもほとんど同じ物だよ。ただ違う点は、こちらは出所がはっきりとしていることだね」
「やっぱり、これは被害者の付けていたスカーフだったんですか」
 直哉はその袋を受け取りながら問いかける。
「それは間違いないだろうね。学年ごとにスカーフの色が違うとでもなればもう少し証拠になったんだが」
「そうですね」
 直哉は、こちらのスカーフは直接は手に取らず、袋の外から眺めるだけにとどめた。そして、台本を取り出すと、ページを開いた。一応最後まで目を通したところで顔を上げると、丸山刑事がなぜか興味深げに直哉の動きを見守っていた。これは何かある、きっと、丸山さんは僕を試そうとしているんだな。直哉はそんな気がすると、再度台本に目を通すことにした。ページを繰るうちにふと違和感に襲われ、ページを戻す。何度かページを行き来するうちに気がついたのは、ページが一枚、切り取られていると言うことだった。それも強引にちぎり取ったらしく、破り目がはっきりと見えていた。
「これは」
「誰かがちぎっていったみたいだね。もっとも、それが元々だったのか、それとも事件後誰かが意図して破りとったのかは分からないけどね」
「事件後破り捨てたとすると、それは犯人と言うことになりますね。事件の第一発見者はあゆみちゃんですし、烏丸さんが殺されてからあゆみちゃんが死体を発見するまでの間に誰かが近づけるような時間は無かったはずですから」
「だろうね。となると、どうしてそんなことをしたのかが重要になってくると思わないかい?」
「多分、そこに、犯人にとって都合の悪いことが書かれていたから、でしょうね。でも、丸山さん、このことを元々知っていたでしょう。どうして最初から教えてくれないんですか?」
「何、君がどこまで自分の力で気づくか、試したくなってね。もし何も気づかないようだったら教えてあげていたよ」
「本当ですか?」
「もちろんだ」
 直哉は力強く頷く丸山刑事を見ながら、彼が、ただ協力的なだけの刑事でないことを思い出させられていた。
「とりあえず、この台本は預けておくから、何か分かったら教えてくれないかな」
「分かりました」
 直哉は台本を受け取ると警察署を出て、丑美津高校へと向かった。

 丑美津高校が見えてくると、なぜか学校の周りが騒がしいことに気がつき、直哉は強い胸騒ぎを覚えた。いつの間にか駆けだしていた直哉は校門のあたりにいた学生に話しかけた。
「何かあったのかって、またあったのよ、殺人事件が」
 女生徒はそう答えると、怖そうに肩を震わせ、
「ちょっと、あなた探偵でしょ? まだ犯人は分からないの?」
「すみません。とにかく、今度の被害者は誰なんですか?」
「何でも、演劇部の都筑さんらしいわね。私とはクラスが違うからちょっと詳しいことは分からないけど」
「都筑さん? 今日は学校にきていたんですか?」
「だから、クラスが違うから分からないのよ。詳しいことは他の人に聞いてよ」
 女生徒はそう言うと興味深そうに旧校舎の方に視線を向けた。直哉はさらに別の二人に声をかけたが、誰も詳しいことを知ってはいなかった。そして、四人目で、第一発見者がひとみであることを教えられ、驚いた。結局直哉はここにいてもらちがあかないと考え、旧校舎へと急いだ。
 旧校舎ではすでに警察の現場検証が行われていた。その場所には先ほど分かれたばかりの丸山刑事の姿があったが、第一発見者のはずのひとみの姿はどこにもなかった。
「いや、君が出て行ってすぐに通報があってね、本当は君も一緒にと思ったんだが、どこにいるのか見あたらなかった物だからね」
 丸山は弁解がましく言葉を紡いだが、直哉はそれにはあまり関わらず、
「それで、どんな状況なんですか?」
「前の二件と同じだよ。今度もスカーフで首を絞められている。いったいこの学校はどうなっているんだい、こうも立て続けに殺人が起こるなんて。もっとも今回は未遂だけどね」
「未遂? それなら都筑さんは無事なんですか?」
「無事かどうかは、まだ分からないよ。現在、意識不明の重体で病院に搬送中だ。助かる見込みは五分五分と言うところかな」
「とにかく、現場を見せてもらっても良いですか?」
「それは構わないよ。ただし、みだりに現場をいじったりしてはいけないよ。まだ現場検証が終わったわけではないからね」
 直哉は頷くと忙しそうに動き回っている鑑識の間をくぐり抜けながら、現場へと向かった。そこには、犯行現場を示すように白いチョークで印が付けられていたが、それ以外にはこれといった特徴は見あたらなかった。直哉は、あの、絞殺の特徴の一つである、青く異様にふくらんだ顔を思い出し、一瞬、気分が悪くなったが、それでも、今回は未遂で終わったことを思い出し、首を小さく振ると、
「犯行時刻は分かっているんですか?」
 直哉は気を取り直すように首を振ると、丸山に問いかけた。
「犯行時刻は午後3時半頃、つまり、この学校の6時間目が終わった直後だね。今彼女のクラスメートに色々と話を聞いているところだからそれ以上の情報は今のところ無いよ」
「そうですか。それで、第一発見者は?」
「ああ、河合君だね。確か、君の友人だったね? 彼には今、別の場所で証言してもらっているよ。ただ、偶然ここを待ち合わせ場所にしていただけのようだから、事件とは関係ないだろうね。しかし、つい先日に殺人があったばかりのところを待ち合わせ場所にするなんて、彼も変わった子だね。もっとも、そのおかげで今回の被害者は助かったような物だけど」
「その待ち合わせの相手は僕なんですけどね」
「おや、そうだったのかい? なら君も、いや、やめておこう」
「良いですよ。それよりも、ひとみちゃんのおかげで助かったというのは?」
「なんでも、彼がこの現場に来たとき、誰かが逃げていく足音を聞いたと言うんだよ。多分犯人が、彼が来たことに気が付いて逃げていったんじゃないかと思うんだが。そのおかげで、犯人は被害者を完全に殺すことは出来なかった。まあ、そう言うわけだよ」
「だから犯行時刻をはっきりと言うことが出来たんですね。でも、終業時間直後と言うことは、結構アリバイがはっきりするんじゃないでしょうか? たいていの人はチャイムが鳴ったからと言ってすぐに教室を出たりはしないでしょうし、一人で帰宅するよりも集団で帰る人の方が多いでしょうから」
「我々もそこに期待しているんだよ。とにかく、情報が集まるのを待とうじゃないか。もっとも、被害者が目を覚ますのが一番良いんだけどね」
 丸山刑事の言葉に積極的に否定する理由もなかったが、ただ、じっとしているだけというのも気が引けた直哉はとりあえず、職員室に向かうことにした。

「高田君、また事件があったのよ」
 職員室に入るなり、ややヒステリックな女性の声が聞こえてきた。
「あ、葉山先生。ええ。さっき現場にも行ってきました」
「ああ、いったい、この学校はどうなってしまうのかしら。去年はあんな事があるし、今年も」
 葉山は直哉の言葉をほとんど耳に入っていない様子で頭を抱えた。
「先生は、自分の受け持ちのクラスはなかったんでしたよね?」
「え? ええ。確かに、私は何処の担任でもないけど、それがどうかしたの?」
「それなら、先生は、終業のチャイムが鳴ったとき、この職員室にいましたか?」
「終業時?確かにここにいたけど、でも、それがどうかしたの?」
 葉山は怪訝そうに問い返した後にその意味に気づいたように、
「もしかして、私のアリバイを調べようと言うの?」
「いえ、違いますよ。でも、ここじゃあ、ちょっと聞きにくいですね。そうだ、美術室に行きませんか?」
 直哉は慌てて否定すると、葉山に提案した。
「美術室に? ええ。分かったわ」

「それで、職員室では聞きにくい話って何?」
「そうぢゃぞ、いきなり、美術室を貸してくれぢゃなんて、迷惑も良いところぢゃ。理由はきちんと話してもらわんとな」
「駒田先生、まあ、駒田先生なら大丈夫だと思いますけど、聞きたいのは杵嶋先生のことなんです。彼も、担当のクラスは持っていないですよね?」
「ああ、杵嶋先生か、確かに、彼はまだ何処の担任にもなっていないな。それがどうかしたのか?」
「今日の3時半頃、杵嶋先生は職員室にいましたか?」
「それが聞きにくかったこと? えーと、ちょっと待ってよ、確か」
「何ぢゃ、おまえさん、杵嶋先生をうたがっとるのか?」
 駒田はあきれたような視線を向けていたが、
「大変な仕事なんぢゃな、探偵っちゅうやつは」
 と独白した。
「確か、杵嶋先生はずっと職員室にいらっしゃったわよ。演劇の台本を見て何か考えられていたみたいだけど、3時半頃に外に出るようなことはなかったはずよ」
「間違い有りませんか?」
「ええ。でも、これで先生の無実は照明されたわけね」
「はい、確かに。それと同時に容疑者も誰もいなくなりました」
「どういう事ぢゃ?」
 直哉の言葉に駒田は不思議そうに問い返す。
「すべての事件で、アリバイのない人物が一人もいなくなったんですよ」
「なんぢゃと? それは本当かね?」
「ええ。第一の事件では全員に明確なアリバイはありませんでした。しかし、第二の事件では、第一の事件における容疑者の中でアリバイの無いのは都筑さんと杵嶋先生の二人だったんです。そしてその都筑さんが襲われた。となると、残るは杵嶋先生だけだったんです」
「しかし、そうなると」
「ええ。誰にも犯行は無理だと言うことになってしまいます」
「なら、複数犯と考えたらどうなの? それなら不可能ではないでしょう?」
 葉山先生が少し考えた後に言葉を挟む。しかし、直哉はそれに対して首を横に振ると、
「それは考えにくいです。そもそも、一連の事件の中でアリバイを証明できた人物は鳩山さんだけです。そして、彼のアリバイを証明したのは鷹取さんです。つまり、共犯関係が成り立つとしたらこの二人になるわけです。しかし、鷹取さんは第一の事件でアリバイを証明できていません。第一の事件の日、彼女は、演劇部として学校に来ることは出来なかった訳ですが、それでも彼女にも犯行が可能である以上、そこには何らかのアリバイを用意したいと考えるのが普通ではないでしょうか? 彼女が実行犯だった場合も、今度は逆のことが言えます。鳩山さんにアリバイがないのはおかしいですよ」
「そんな物なの?」
「もちろん、絶対だとは言えません。でも、可能性として考えた場合、その可能性は低いと考えるべきだと思います。もっとも、結論を出すのは今回の事件のアリバイが調べ終わってからですけどね」
「なんにせよ、めんどくさいものぢゃの」
「ええ、あ、そうだ!」
「何ぢゃ?」
「ひとみちゃんのことを忘れていました。すみません、ちょっと行ってきます」
「おい、行ってしまいおった、なんだったんぢゃいったい?」
 駒田はさっきまで直哉の立っていた場所を見つめると、軽く息を吐いた。

「おう、高田、そんなに急いで何処に行くんだ?」
 直哉は廊下の途中で背後から声を掛けられた。振り向くとそこには河合ひとみが立っていた。
「あ、ひとみちゃん」
「だからそのひとみちゃんって呼ぶのはよせ。それで、そんなに急いで何処に行くんだ?」「ちょうどひとみちゃんを捜していたんだよ」
「俺様を? ああ、そうか、事件発見の顛末を聞きたいって訳か。ああ、良いぜ、話してやるよ。そうだな、ちょっと場所を変えないか」
 二人は学校の屋上に移動すると、ひとみは金網越しに校庭を見つめながら話し始めた。
「とにかく、俺様は昨日の約束通り、放課後に旧校舎に向かったんだ。もっとも、ちょっと寝過ごしちまってここに着いたのは3時40分頃だったけどな」
(寝過ごしたって、こないだも寝ていたような? ひとみちゃん、本当にきちんと授業にでているのか?)
「ん? 俺様の顔に何か付いているか? とにかく、ここに着いたときにはもうすでに人が倒れていたんだよ。さすがに俺様も驚いてよ、てっきり死んでるもんだと思って警察に連絡したって訳よ」
「現場付近で誰かを見たりは」
「いいや、俺が来た時にはもう誰もいなかった。ただ、何となく、あそこに着く直前、誰かが走っていく足音を聞いたような気がするんだよ。もしかして、あれが犯人だったのか、と思っているんだが、それよりも、高田よ、おまえや橘さんはいつもあんな場面を見ているのか?」
「あんな場面?」
「ああ、人が死んでいるところだよ、あれはあまり見るもんじゃねえな。この俺様が肝をつぶすかと思ったくらいだからな。もっとも、今回は死んじゃいなかったわけだが」
 そうか、当たり前のことだけど、ひとみちゃんは今まで他殺の死体を見たことがなかったんだな、だから、生きているのか、死んでいるのかの区別も付かなかったんだ。直哉がそんなことを思いながら納得していると、
「しかし、何でまたスカーフなんかで首を絞めたんだ、犯人の野郎は」
「えっ? 何でってそれは…、それは」
「何だ、お前も知らないのかよ」
 しかし、直哉はひとみの言葉が耳に入らないかのように黙り込んでしまった。
 ひとみは退屈そうに辺りを見回していたが、ふと一点で視線を止めると、
「橘さん!」
「みんなに聞いたら直哉君とひとみちゃんが屋上に向かったって言うから。直哉君、大変なことになったわね、直哉君?」
「あれ、あゆみちゃん、何時の間に?」
「どうしたの、いったい」
「分かったような気がする」
「え?」
「犯人が誰か、分かった気がするんだ」
 直哉はそれだけを言うと、屋上の扉に向かって歩き出した。
「何処に行くの?」
 直哉はその言葉が合図だったかのように走り出すと、扉を開け、階段を駆け下りていった。あゆみとひとみは慌てて直哉の後を追いかけたがすぐにその姿を見失ってしまった。

 読者への挑戦状
 今ではすっかり古風になってしまった読者への挑戦状を、私も試してみたいと思います。
 高田直哉はついに事件の犯人を探り当てました。彼が推理したとおり、この一連の事件を一人の人物がすべて行うのは不可能です。また、共犯関係の人物がいると言うこともありません。さて、皆さんはこの謎をどう解くでしょう? そして、私が挑戦状として皆さんに答えてもらいたいのは烏丸部長を殺害したのは誰か、この一点だけです。
 この一点に関してのみ、論理的な思考の帰結として犯人の名前を特定できるはずです。そのための手がかりは物語中に残してきました。ただし、羽生千明殺害の犯人に関しては、皆さんは想像することは出来るかもしれませんが、特定することは出来まないはずです。そのための証拠は決定的に不足していますから。ですので、もう一度言います。烏丸圭壱を殺害したのは誰か、動機の面からの想像やただの直感ではなく、論理的に犯人を特定してください。きっと出来るはずです。多分皆さんは、すでに犯人が誰かは見当が付いていると思います。しかし、ここで一度目を閉じて、どのようにしてその結論までたどり着いたのか考えてくみてださい。もうとっくに犯人も分かっているよと言われる皆様方、あと少しで退屈な時間は終わりです。もう少しだけ辛抱してください。多分分かっているだろうと思われている方、もう降参だと言われる方は先に進んでください。それ以外の方はどうか、目を閉じて考えてみてください。

8.現れた思い
「どうしたんだ? 二人して」
 直哉を追って飛び出したあゆみとひとみは、すぐに直哉を見失ってしまった。そして、そんな二人にその人物は背後から声を掛けた。
「あ、ま、昌明君」
 あゆみは少しばつが悪そうにその男性の名前を呼んだが、ひとみはそんなあゆみの様子には気が付きもせず、
「よう、昌明じゃないか」
「いったい何をしていたんだ? 屋上から慌てて出てきたようだったが。いや、どちらかというと、誰かを追いかけてきた感じだったか」
「そう言うお前は何をしているんだ? とっくに放課後だぜ」
「ああ、なんだか事件があったらしいな。俺も尋問を受けたよアリバイがどうのってな」
「それで?」
「それで? ああ、残念ながらアリバイなんて無かったよ付いてないね」
 昌明はおどけたように肩をすくめる。その仕草を見る限り、千明の死からかなり立ち直っているようだった。しかし、その顔色は相変わらず青白く、まだショックが抜け切っていないのだろうとあゆみは思った。
「それで、そっちは何をしているんだ?」
「そうだ、羽生、高田の野郎を見なかったか?」
「高田? いったい誰のことだ?」
「あれ、高田のことを知らないのか? あの、すっとぼけた面した野郎でよ」
「すっとぼけていて悪かったね」
 ひとみの言葉を受ける形で彼の背後から声が響く。ひとみとあゆみが振り向くと、そこには丸山刑事を連れた直哉が立っていた。かなり急いでいたらしく、二人とも肩で息をしていたが、それでも視線は力強く、はっきりと羽生昌明を見つめていた。

 直哉はゆっくりとした足取りで羽生の前に移動すると、
「羽生昌明さんですね?」
「あんたは確か」
「一度だけ、お会いしていましたね。まあ、ほぼ初対面みたいな物ですから、自己紹介しておきます。僕は高田直哉、探偵をしています。もっとも、まだ助手みたいな物ですけど」
「それと、刑事さんも一緒とはどうしたんです」
「やっと犯人が分かったので、そのことで話し合っていたところです」
「犯人? 千明を殺した犯人が誰か分かったって言うんですか?」
 昌明は丸山刑事に向かって問いかける。
「ええ。それと、烏丸さんと都筑さんを殺した犯人もですけど」
 昌明はその言葉を受けて直哉に視線を向ける。
「いったい誰が、犯人だと言うんですか?」
「まず、烏丸さんが殺された事件について説明しましょう」
 直哉はその言葉を受ける形で話し出した。
「この事件の犯人、仮にYとしておきましょうか。Yは、烏丸さんを殺害するために、彼を旧校舎に呼び出しました。犯人の言葉通りに旧校舎にやってきた烏丸さんはそこで首を絞められ殺されました」
「おい、高田、それじゃ何がなんだか分からないぜ。もっときちんと説明しろよ。それに、犯人の名前が分かっているんだったら、さっさと捕まえちまえばいいだろう?」
 直哉の後ろで話を聞いていたひとみが苦情を言う。
「ひとみちゃん、そう簡単にはいかないよ。それに、厳密に言うと羽生千明さんを殺した犯人を捕まえる事は出来ないんだ」
「いったいどういう事だ、そりゃ」
「とにかく、犯人は旧校舎で、スカーフを使って烏丸さんの首を絞めて殺害した。このスカーフは、学校の落とし物入れにでも入っていた物を使ったのかもしれないね。それならそこから足が付く恐れはないから」
「スカーフ? 何でわざわざスカーフなんかで。ん? スカーフ?」
 ひとみが首をかしげると、その隣であゆみが、
「千明もスカーフで首を絞められて殺されていたのよ」
「つまり、この事件はすべてスカーフによる絞殺だって言うのか? それでも、何で犯人はスカーフなんかで、結局その理由は」
「その理由は、一連の事件が同一の人物による犯行だと考えさせるためだよ」
「なるほど」
「都筑さんの事件に関しても大まかには同じ事でしょう」
「なるほど。しかし、それをどうして俺に?」
 昌明はどこかさめた声音で問いかける。
「それは、烏丸さんを殺害したのがあなただからです」
「そんな馬鹿な」
 と、ひとみは声を張り上げたが、あゆみは神妙な表情でただ成り行きを見守っていた。
「つまり、千明を殺したのも俺だというのか? そんな馬鹿な、冗談も休み休み言え」
「誰がそんなことを言ったんですか? 僕は烏丸さんを殺したのがあなただと言ったんです。烏丸さんを殺害することの出来た人物はあなたしか居ないんですよ」
「何を証拠にそんな」
「まず、三つの事件について、これらを一人で行う事は不可能なんです」
 直哉はそう言うと先ほど、駒田、葉山両先生に説明したアリバイについて再度説明した。
「三つの事件が同一人物の手による物でないとしたら、どれとどれとが同じ人物なのでしょうか? 可能性としては、四種類しか有りません。第一は、千明さん、烏丸さん殺害が同一人物の手による犯行、第二は、烏丸さん殺害、および都筑さんを襲った人物が同一で有る場合、第三は千明さんと都筑さんを襲ったのが同一人物、最後は三つとも別人の手による犯行です。では、第一の可能性から考えてみましょう。この場合、千明さんと烏丸さんの命を奪った犯人である可能性があるのは先ほどのアリバイの論理から、都筑さん、杵嶋さんの二人だと言うことになります。それは良いですか?」
 直哉はいったん息を継ぐため、皆に同意を求めた。とりあえず、その点は納得したらしく、昌明以外は首を縦に振る。
「ここで思考を第二の事件に移します。この事件で犯人は現場に台本を残しています。そして、この台本は一ページ破りとられている箇所がありました。これは、犯人がその破られたページに何らかのメッセージを残し、烏丸さんを呼び出したと見るのがもっとも妥当でしょう。例えそうでなくとも、そのページを犯人が持ち去ったと言うことは間違い有りません。つまり、そのページは犯人にとってそのことは出来る限り知られたくはなかった訳です。この事から、犯人は演劇部の関係者ではないことが導き出せます」
「どうして?」
 あゆみが首をかしげると直哉は、
「犯人は、そのページを人目に付けさせたくなかった。それならどうすればもっとも良いか、それは台本を現場から持ち去ることだよ。それなら何故それをしなかったか、それは烏丸の持ち物の中に台本がないことを気付かれたくなかったからとしか考えられない。だからわざわざ該当するページだけを切り取って持ち去るようなことをしているんだ。捜査陣に気付かれないようにと祈りながらね。でも、もし犯人が演劇部の関係者だったら、そんなことをする必要はないよ。烏丸の台本を持ち去り、代わりに自分の台本を残しておけば良いんだから」
「なるほど、つまり、烏丸を殺した人物は演劇部の人間じゃないって事か」
「その通り、そして、第一の可能性で烏丸を殺害できる可能性を持った人物はどちらも演劇部だった。だから、この説はありえないんだ」
 その場にいる一同は直哉の言葉を受け、懸命に頭を働かせる。そして、直哉の言葉を理解すると、
「しかし、それで何が分かるんだ? 結局犯人が誰かなんて証明できてねえじゃないか」
「そう、この事で分かるのは、第一の可能性はありえないと言うこと。けど、ここで大事なのは、第一の事件と第二の事件、犯人は別人だと証明できたことだよ」
「確かに、第一の可能性以外は一つめと二つめの事件は犯人が違うという説だが、それがどうしたと言うんだね?」
 丸山刑事もあまり詳しいことは聞かされていないらしく、直哉に質問をぶつける。それに対し直哉は、
「第二の事件の被害者、烏丸は他の二件と比べて違う点が一つあります。それは、彼が男性だと言うことです。この事は、今回の事件を考える上で重要な要素です。丸山刑事、彼はどのようにして殺されていましたか?」
「どのようにって、首を絞められてだよ」
「いったい何を使って?」
「今更何を言っているんだい、スカーフに決まっているじゃないか」
「そう、スカーフです。犯人はわざわざ、女子のスカーフを用いて、男性である烏丸の首を絞めています。これは何故でしょう?」
「何故って、第一の事件と同一人物による犯行だと思わせるためだろう?」
「その通りだと僕も思います。となると、一つ疑問が浮かびませんか?」
「疑問?」
「はい。犯人はどうして、第一の事件で使われた凶器が女子の制服のスカーフだと知り得たのでしょう? 確か、この事はマスコミにも発表していませんでしたよね?」
 丸山刑事は直哉の言葉に少なからずショックを受けたらしく、その質問に一瞬言葉を返すことが出来なかったが、慌てて気を取り直すと、何度か首を縦に振り、
「確かにそうだ、この事は捜査上の機密事項として、マスコミはもちろん、事件の関係者にも伏せていた」
「ところが、第二の事件の犯人はそのことを知っていた。犯人と警察関係者しか知らないはずなのに。何故でしょうか? それは、烏丸殺害の犯人が第一の事件で現場を見たからです。そして、第一の事件の発見者は羽生さん、あなたでしたね。つまり、少なくとも第二の事件については、犯人はあなたでしかありえないんですよ。それにあの日、あなたは校門でひとみちゃんと会いましたよね。つまり、犯行時、現場付近に居たと言うこともそこから証明できます」
「つまり俺は烏丸殺害の罪にのみ問われるとでも言いたいのかな、探偵君は。それじゃあ、残り二つの事件の犯人はいったい誰だと言うんだ?」
「それは分かりません。僕にはこれ以上証明する手だてはありません。だからここから先は想像です。多分、千明さん、羽生さんの妹を殺害したのは烏丸だったのでしょう。そして、あなたはそのことを知ってしまった。多分、都筑さんからでも聞いたんじゃないですか? 都筑さんは烏丸さんが殺されてから何かに怯えているかのような異常な反応を見せていました。それは、そのことをあなたに話してしまったことから、起こってしまった事件に対する恐怖だったのかもしれません。もしくは、あなたに狙われると思ったのかもしれませんが。とにかく、烏丸によって大事な妹の命を奪われたあなたは彼に復讐をしようとした。そして、先ほどの方法で犯行を終えたあなたは、次のターゲットを都筑さんに定めた。そして今日、その計画を実行に移した。多分、事件を知っていながら、千明さんを助けようとしなかった彼女のことも憎かったんでしょうね。ただ、犯行途中、誰かの足音を聞いたあなたは都筑さんの命を完全に奪う前にその場所から逃げ出さなければならなかった」
 直哉がいったん口を閉ざすと、羽生は一度ため息を吐いた。
「でも、これはすべて僕の想像です。あなたを逮捕するための証拠がそろうまでにはもう少し時間が掛かるでしょう。ただ、ここまで分かっていれば証拠固めにはそれほどの時間はいりませんよ。それに、都筑さんだって、すぐに意識を取り戻すかもしれない。そうなったら言い逃れは出来ませんよ。だから、自首してくれませんか? 僕は元々警察の人間ではありません。それに、ここにいる丸山刑事も物わかりの良い方です。ですから、今は見逃してあげられます」
「どうしてだ?」
「ここには、あなたの妹を殺害した犯人を逮捕するために協力を申し出てくれたひとみちゃんがいます。それに何より、ここ数日、キミの無実を証明するために駆け回っていたあゆみちゃんがいます」
「直哉君、気付いていたの?」
「あゆみちゃんが、事件とは少しはずれた調査をしていたことはね。どうりであゆみちゃんから情報が手に入らないはずだよ。とにかく、この二人のためにも、あなたは自首をした方が良い。罪は、償われなければいけないんだよ。君を待っていてくれる人がいるならなおさらね」

9.大団円
「それで、結局どうなったんだい?」
 直哉が昌明が犯人だと指摘してから三日後、空木は出張から帰ってきた。そして、留守中の事件の話を聞くと、直哉から詳しい事件の状況の説明を受けていた。
 そして、それまで身を乗り出して話を聞いていた空木は、ソファの背にもたれかかると、直哉に話の続きを促した。
「羽生さんは、その日の内に自首をしました。それと、都筑さんは昨日意識を取り戻しました」
「へえ、それは良かったじゃないか」
「昌明君は、都筑さんが意識を取り戻したことを取調室で聞いたとき、涙を流していたそうです。何度も良かったって」
「そうか。それで、結局動機は何だったんだい? やっぱり、千明さんの敵討ちだったとして、それなら、烏丸の犯行の動機は?」
「本人が死んでしまっているので確実なことは分かりませんが、羽生さんが都筑さんから聞いた話では、烏丸さんは、その日、千明さんに交際を迫ったらしいんです。千明さんはそれを断った。ただそれだけのようです」
「そう、ひどい事件だね。とにかく、二人ともよく頑張ったね」
「いいえ、結局、私は何も出来ませんでした」
「それは仕方がないさ。探偵は、依頼人とは必要以上に親しくなってはいけない、これは捜査の鉄則だよ。冷静な判断が出来なくなるからね。ところが、今回の件はあゆみちゃんと容疑者である羽生君とは最初から親しかったんだから。彼の無実を証明しようとすること自体を否定することは誰にも出来ない。今回は運悪く、と言ったら言葉が軽すぎるけど、彼が犯人だったんだ。有罪の人間の無実を証明することは、誰にも出来ないし、してはいけないことだよ。例え、どんな理由が有ろうとね」
「先生」
「ありがとうございます」
 あゆみは空木に深く頭を下げた。直哉はあゆみが目元をぬぐう動作を、見てみないふりをした。
 
 
 
 

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