浦部 忠志

いかにも善い人に思えたその人物が、実は犯人でした。
推理物、サスペンスドラマなどでは王道の展開です。
浦部校長は、おおざっぱに見るならこの王道パターンに含まれるキャラクターでしょう。
けれど、浦部校長はただの善人面した悪人ではなかったはず。
ここではそんな浦部忠志について、徹底的に語ります。


浦部忠志が一連の犯罪に手を染めた動機は、一も二もなく日比野達也の存在にあります。

しのぶの遺体を隠したことも、洋子の遺体を川に流したことも、すべては日比野のためでした。
浦部は15年の長きに渡って周囲を騙し抜き、自己のそんな犯罪をひた隠しにしています。しかし、これに関しても浦部の犯罪が露見すれば、必然的に日比野の罪まで明らかになるからでしょう。

現に、といえば語弊があるかもしれませんが、浦部は最終的にすべての罪をかぶって死にます。本来、自分が手を下したわけではない犯罪まで、すべて。

そこにあったのは二人の犯罪がすべて明るみに出るか、それとも日比野を守ることに賭けるかという二者択一であって、自己保身の要素は一切ないと言って良いでしょう。
浦部校長の動機は、あくまで息子を守ること、それのみです。

また、特にNP版では強化されているのですが、校長の巷での評判が意味するところも大きいでしょう。浦部校長の世間一般での評判は、浦部の本質の一面を確実に表していると受け止めて良いかと考えます。

本来なら、犯罪に手を染めるような人間ではなかった。
浦部の本質の9割はそうした、巷で語られる「人格者」としての部分が占めているように思います。
だからこそ、浦部という存在は哀しいのです。
 

本来決して罪を犯すはずのなかった人間が、複数の、ささやかとは言えない犯罪に手を染めました。
その引き金となった我が子への想いとはどれほどのものでしょうか。
子どもを持ったことのない私には計り知れません。
計り知れないほど巨大で深く重いのです。

この点で、「うしろに立つ少女」の犯人は浦部でなくてはならなかったとさえ言えます。
加えて、浦部の本質が限りなく善でなければならないとも言えます。
あんなにすばらしい、あれほど優しいあの校長が、息子のためには罪を犯してしまった。そこで初めて、この作品の犯人像は意味を持つでしょう。そこで初めて、親の、子に対する愚かしいほどの愛情が伺えるのです。
浦部というキャラクターは、「うしろに立つ少女」でこうしたテーマを一身に背負っています。あるいは体現しています。

善い人に見えたのに悪人だったのではありません。
浦部は、善人でも罪を犯してしまった。
そこに、哀しみと想いの深さが見えるのではないでしょうか。
 
 

しかし、だからといって浦部の罪は許されるものでしょうか?


Jun.2002

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