続・難点?── 反論編

推理物としては、「うしろに立つ少女」の不思議に満ちあふれた終わり方は難点であるかもしれない、というお話は前述したとおりです。 
しかし、これで終わるのは「うしろの立つ少女」ファンとしての私の意地に関わりますので(苦笑)、今度は別の見方を提示してみたいと思います。 

これは「反論編」となっておりますので、先に「難点?」をご覧頂けますと幸いです。 
また、ここで言う「難点」とはあくまで「うしろ立つ少女」中の幽霊についての取り扱いについてでありまして、その他に存在するいくつかの矛盾には触れておりません。


別の見方。これはまさに別の見方になります(たぶん)。 
すなわちそれは、ファミ探を「推理物」ではない作品として見たなら、という考え方です。 

おそらくファミ探を推理物として見続ける限り、「うしろに立つ少女」で残されたままになっているいくつかの「不思議」は釈然としない印象を与えることになるのではないか、と考えます。 
矛盾点を「不思議なことだね」の一言で済ませてしまう探偵にも問題があると思われるかも知れませんね。 

けれど、「うしろに立つ少女」を推理物とは異なるエンターテイメントとして楽しむなら、どうでしょうか? 
  

例えばホラー要素あふれる「恐怖物」ならば、幽霊の存在はむしろ肯定してかかるべきでしょう。 
「学園物」とか「青春物」として見るならば、幽霊の存在は肯定しても否定しても全体にさしたる影響はありません。 
「親子物」という見方があるならば、これについても同様のことが言えますね。 

一人の少女が幽霊になって、学校の中をふらふら歩き回って後輩を脅かしたり、従姉妹の少女に乗り移ったり、ところどころで妙な声が聞こえてきたりしてもいいでしょう。 

幽霊がいて、何かしてもいいのです。 
  

「うしろに立つ少女」は冒頭で述べられているとおりのフィクションなのですが、フィクションにも色々とあります。 

フィクションの中でも「推理物」といったジャンルは可能な限り現実に即しているべきです。現実に即すという言葉についてもう少し詳しく述べますならば、科学的であるべき、ということになります。 
少なくとも科学で存在が証明されていないようなものは ── 常識的に考えていないと思われるような存在に対しては、肯定的でない方が良いでしょう。 

仮に幽霊を思わせるような存在に作中で触れることがあったとしても、生きている人間のトリックもなしに、いかにもそれが実際いて、しかも何かしたらしい、という話の展開には疑問を覚える方がいらっしゃっても無理はないかと存じます。 
これは先の「難点?」で述べたとおりです。 

しかしながら同時に、幽霊の存在を肯定して話を進めて問題のないフィクションも、多数存在します。 

推理物‥‥とは限りませんが、とにかく幽霊を肯定すべきでないフィクションという視点から見る限り、「うしろに立つ少女」という作品に残された数々の不思議は矛盾と謎を誘うだけです。 
けれどもし、この枠から抜け出して見るなら、その時は‥‥‥。


「うしろに立つ少女」という作品が「幽霊を肯定すべきではないフィクション」であるのか、「幽霊を肯定しても構わないフィクション」であるのか、これは難しい問題です。 
それを最終的に決めるのは、他の誰でもなく受け取り手であるプレイヤーの皆様個々人であるのかもしれないと、私は考えます。 
  

これをご覧になっている皆様にとって「うしろに立つ少女」は、そのどちらに当たるのでしょうね? 

作品中の幽霊肯定派の方は否定派の見方を、否定派の方は肯定派の見方をしてみると、あるいは作品の新しい一面が見えてくる、なんてことがあるかもしれませんね。
 
 

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  Sep.2001